鍵っ子もいろいろと思うことがあるんです
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ここからの記事は前回の小説「たとえこのすべてが偽りでも」についての内容を含みます。
読みえてくださった方は追記からご覧ください。


「たとえこのすべてが偽りでも」を最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
とても長い時間かかってしまいましたが、前作「Jump↑Girl.」に続いて一つ書き切る事が出来て良かったです。
前々からの予告の通り、前作とは打って変わった、とても濃いお話だったと思います。
実は前作の倍以上の文章量でお送りしています。
さて、夢落ちで終わることもなく、ぶっちゃけ後味があまりよろしくない最後ではなかったでしょうか?
皆様方、それこそが今回の狙いです。
死んでしまった岬の愛と、今を生きる理奈の愛・・・それに優劣をつけるのは、読者様次第です。
それに悩むからこそ、著者の僕が結論を出さないからこそ、後味が悪いと感じるのです。
これをスッキリと読みきることが出来たあなたは、きっとどちらの愛が上か、答えが出ているのでしょう。

この物語の軸には「家族愛」と「異性愛」の二つがあります。
岬から、理奈から、そして蔭由から陽一に込められた「家族愛」
岬から、そして理奈から蔭由へと込められた「異性愛」
この二つが複雑に交じり合うことで、それぞれが込めた愛情を陽一は、蔭由は返してくれていたのか・・・。
それがあやふやとしてしまいますが、読者様に考えてもらう物語を作るうえでは大切だと感じました。
悩んでくださったなら、それほど嬉しい喜びはありません。

また、伏線の回収も大事にしました。
病気について詳細を求めなかった蔭由を中心に、岬のビデオレターの数、陽一の態度の変容。
伏線を伏線と呼べないままに進めてしまえるくらいに浅いものでしたが。
それについてのもやもやは発生しないよう善処したつもりです。あくまでもやもやだったのは「愛の優劣」だけ。

会話表現の拙さは自分でも一番反省すべきところです。
ですから自分はギャグ・・・というか日常会話を不自然なく書き切ることが難しいです。
陽一が食事の間に怒鳴り散らかすシーン、そしてビデオレターで語られる岬の言葉。
どちらも物語上とても重要な場面でしたが、拙さが目立ってしまっているかもしれないです。
次回からの課題はこれになるかな、って思います。

お気づきになった方がいらっしゃるかもしれませんが・・・蔭由の一人称が「私」→「俺」→「私」と変化しています。
これは誤字では決してなく、一種の演出です。
再婚を視野に入れる蔭由はより陰湿に、岬や理奈の愛を精一杯に受けた蔭由はより穏健に描かれています。
そのままでも流せちゃいそうな演出ではありますが、蔭由の二面性はこの物語上では大切なものだったと考えています。

この物語は、蔭由の家に岬の両親から手渡されるビデオテープが登場することで初めて進行します。
確かに月日が流れてはいますが、蔭由を含む3人の関係はまったく変化がないままです。
それは一体何故か・・・陽一は母である岬に一種の忠誠にも似た愛を抱いているからです。
母の発する最後の言葉を胸に、再び会えることを信じて、彼女に洗脳を受けたかのように振舞うのです。
それは岬の意図的な愛であったのか、否か・・・その捉え方だけでも、岬の人物像はすぐにぐらついてしまう。
岬は物語中では、実際登場してくることは一度もありませんよね。
既に始まった当初から死んでしまっているのですから。
ですから、彼女の人物像を最後まで知ることは出来ません。

理奈の生き方は、ある意味岬よりもひどいものだったのかもしれません。
別れた夫とは別に現れた優しい蔭由との生活には、結局たどり着くことは出来なかったのですから。
彼女と蔭由の生活の中には、必ずと言っていいほど岬に対する嫉妬と劣等感、そして罪悪感が蠢きます。
彼女の不幸こそが、この物語の大きな軸の一つです。
結局最期を迎えますが・・・さて、ここで一つ考えて欲しいことがあります。
彼女人生で、一体何を残せたというのでしょうか・・・?
岬に代わって陽一を育てた?・・・いいえ。死んだ岬はビデオで生き続け最後まで陽一は理奈を母親として認めませんでした。
蔭由に愛を与えてあげられた?・・・いいえ。彼女は結局最期まで蔭由には悲しみしか与えることは出来ていません。
そして、自分がこの物語でやってしまった彼女への「嫌がらせ」は、決して「新しい家族」を迎えさせなかったことです。
彼女が生きて蔭由を愛した意味は、あるのでしょうか?
愛に理由はいらない、と一言で片付けられたなら、それは理奈にとっての唯一の慰めとなるでしょう。

物語の最後に載せた「パラノイア」について少し。
もちろんこれは岬への比喩と捉えていただいて結構です。
「パラノイア」とはいわゆる精神病の名称ですが、あの有名な森鴎外氏著「舞姫」からの引用です。
この物語を書き始める頃からこの引用を使おうと決めていました。
当初はタイトルに入れて「パラノイア姫」なんてタイトルも考えてましたが・・・
直球で内容バレしちゃいそうな感じだったので没にしました。


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【2011/08/06 22:53】 | 小説
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「一緒に、ずっと、暮らして欲しい」

これは、私と息子に託された、妻の最期の願い。



私の妻は、もうこの世にいない。
もちろん私が殺したわけでも、彼女が自殺をして自ら命を落としたわけでもない。
私たちの息子、陽一を生んで、ちょっとして発覚したらしい病気。
病気のことは妻に直接告げられたが、私にはどこが悪いのかも分からなかった・・・というより、聞かなかった。
私は馬鹿だから、長い病名を教えられたところで、何かが出来るわけではないからだ。
それでも彼女は、今日までを一生懸命に生き抜いた。
彼女の生き方に、決して誰も文句をつけることは出来ないだろう。
途中棄権などでは決してない・・・・いや、ある意味途中退場なのかもしれない。
私達が、これまで懸命に育て上げた、息子が残っていたのだから。
最期の最後まで、息子を心配し、これから男二人で生きていくことを心配した。
彼女にもしも、後悔があるのならば、息子の陽一に、これからも愛情を注ぐことは出来ないということだろう。
しかし、息子は涙を見せない。
何故なら、息子にはまだ「母親の死」を理解するには、幼すぎたからだ。
「どうしてママは起きて来ないの?いつ、起きるの?」
妻の顔の白い布を取り除いた私の足にしがみついて、息子はそんなことを言ってきた。
私は、下手な嘘はつけなかった。
「もうしばらくは起きて来れないかな・・・」

言えなかった。

もちろん言ったからといって、起きて来るわけでもないし、息子がそのことで将来喜ぶこともないだろうから。
担当医師は、息子を連れて病室を出て行った。
私と妻を二人きりにするためだ。
私は冷たくなった妻と二人きりになって、彼女を横目に・・・・・・・・笑った。
それは・・・・・・・妻の死を、私は誰よりも悲しんではいなかったから。

妻の葬儀を終え、私は妻の両親と話をした。
それは、「これからのこと」である。
「蔭由君、今まで娘の岬と一緒に居てくれて・・・ありがとう」
「いえ、こちらこそ・・・岬には、色々と世話になりました」
私たちはともに深いお辞儀をする。
お辞儀が彼ら両者に対してどのような意味を込めるのか、それはまったくの別として。
「これから君は、どうするんだい?」
「はい、私と息子の陽一と二人で、暮らしていこうと思います」
「そうか・・・もし、どうしてもつらくなったら、私たちにも相談してくれ」
「分かりました」
「そして、私たちに構う事なんかないから・・・再婚してくれてもいいんだぞ?」
「・・・お気遣い、ありがとうございます・・・でも、私には岬だけなので・・・」
「そうか・・・岬を愛してくれて、本当にありがとう、では・・・陽一君も元気でね」
「おじいちゃん、おばあちゃん、ばいばい!」
妻の両親は、私にもう一度礼をして、その場を去った。
妻の母はただただ泣いているだけで、終始私に話しかけてきたのは妻の父親だけだった。
両親が車に乗り、式場から二人が去るのをじっと見送っていた。
いや、ただ私は見ていただけ。
私はその最後の瞬間を見届け、息子と手を繋いだまま、また笑った。
(両親の了承・・・確かに受け取ったぞ・・・・・・・・・岬?)
私と岬には大した財産を残しているわけでもないが、岬の延命には資金を費やさなかったため、少しだけ浮いた金はあった。
少し、とはちょっと語弊があるが、一種の収入ボーナスと考えておこう。
「・・・お父さん?どうしたの?」
「いや、なんでもないよ・・・じゃあ、行こうか」
「うん!僕ね!遊園地行きたい~」
「ははは・・・それはまた今度ね」
これから、いくらでも行けるんだから・・・・私のセカンドライフは、これからなのだ。
私は、妻の枷が消えて、新しい生活を始める。

「いってきまーす!」
「あぁ、いってらっしゃい・・・先生、よろしくお願いします」
「はい、分かりました・・・じゃあ陽一君、行こうか」
「うん!」
息子は幼稚園の先生と共に園の中へと駆けていく。
私は息子を幼稚園へと送り、いったん家に戻って仕事へ行くためスーツに着替える。
しかし、出勤の時間までもう少しだけ時間がある。
私は妻の祭壇へと向かい、一礼した。
「・・・今まで、一緒に過ごしてくれて、ありがとう」
私は無意識に、彼女へと礼を述べていた。
「岬のおかげで、陽一も生まれてこれたし、楽しかった、それは本当だ」
今でも蘇る、三人での思い出。
「でも、俺・・・他に好きな人が出来たんだ」
その楽しい思い出を引き裂く、重い言葉。
「岬の病気の看病をしながら、俺は他の女の人と会ってた」
私は、重病を患う彼女を傍目に、浮気をしていた。
「お前と別れる話をしようと何度も思ったさ、でも、病気を患ったお前には言えなかった・・・陽一もいるのに」
「だから、お前が死んでから、打ち明けようと思った・・・今まで黙っててすまない」
私はまた一礼する、精一杯の謝罪の念を込めて。
「俺は、お前と別れる・・・今までありがとう」
時刻は8時を過ぎ、俺は早々と家を出て、会社へと向かった。
妻はまだ、うんともすんとも言っていないのに、俺は家を出たんだ。
まだ、我侭な男であることに代わりはない。
自分の思いを一方的に告げただけだ。
それでも・・・・・言わないよりは、マシだろ。

カタカタカタカタ・・・・
室内は無機質なキーボードを叩く音だけが響いていた。
まるで何かを気にしているかの様に、静か。
小さな視線が、次々と俺の首筋を撫でる。
俺はしばらく何か悪いことをしたのかと頭を張り巡らしていたが、それが杞憂であることに気づく。
そうだ、俺は最愛の妻を失った悲劇の夫なのだ。
今の今まで忘れていた・・・だから、この痛い視線は憤慨の意では決してなく、同情の視線。
オフィスに溢れる愚痴や痴話も、今日はうんと静まり返っているのはそのせいか。
そんな気を遣う必要なんて、ないのに。
それでも、俺は、精一杯「悲劇の夫」を演じなければならない。
これからの指針のために。
私は自分の資料を綺麗に整頓して、提出先である課長の元へと向かう。
「課長、昨日言ってた会議の資料、出来ました」
「お、おう・・・ありがとう・・・ところで灯山君、君・・・奥さんが」
「はい、先日妻はなくなりました」
私は、出来るだけ淡々と、それでも悲しみを演じて答えた。
「明るい奥さんだったのに・・・残念だね・・・今度、お線香をあげに伺っても、いいかい?」
「気をしっかり持って・・・ね?つらかったら休んでもいいんだよ?君は優秀なんだから」
「はい、でも・・・僕が、泣いたところで、岬は帰って来ませんし、息子がいますから・・・」
私は少しだけ俯く、それでも自然と涙は出てこなかった。
「そうだったね・・・頑張れよ、これから」
「はい、ありがとうございます」
私はそのまま自分の席へと戻った。誰も私の声をかけてくる者はいなかった。
でも、十分「悲劇の夫」でいられたと、私は確信している。

仕事に区切りがついた昼頃、私の携帯に一通メールが来ていたことに気づいた。
「すいません、ちょっと出ます」
「はいよ・・・おつかれ、昼からも頑張ってね」
「はい」
昼にちょっと外出を伝え、会社を出る。
誰も「悲劇の夫」を拒(はば)むものはいなかった。
私はそのまま会社の近くにある喫茶店へと向かった。
先程のメールでちょっとした呼び出しがあったからだ。
私は指定された席へと向かう、すると、女性が一人既に座っていることに気づく。
それに便乗するかのように、彼女も私の存在に気づく。
「早かったわね・・・蔭由」
「すぐに飛んできたからね」
私は彼女の向かいの席へと腰を下ろした。
少し痩せて、それでいてグラマラスな体系を維持した彼女は、間宮理奈。
「奥さん、亡くなったって・・・聞いた」
「あぁ、・・・・・・・」

彼女こそ、今俺が心を寄せている、唯一の女性だ。

「ちょっと、何で笑うの・・・不謹慎じゃない・・・?」
「そりゃそうだけど・・・君と一緒になれるのが、嬉しくて」
「・・・」
彼女は何も拒まなかった。
人目を気にせず、私たちはキスを軽く交わした。
「でも、今さら言うのもなんだけど・・・・・・奥さんは、もういいの?」
「あぁ、いいよ・・・もうすっきりした、彼女にちゃんと告げたよ」
「そう・・・なら、いいんだよね・・・・・・」
「そうだよ」
私は、岬に一生分の幸せを渡してきたんだ。
でも、彼女は、私が与えたほどの大きな幸せをくれちゃいない。
幸せって、形がある。
実感する気持ちの様に形容するものではないと思う。
この世の万物に例えるなら・・・そう、水。
心という器にどれだけ満たされているかということが重要なんだ。
これから私と理奈は、一生分の幸せを共に与え合い、共有する。
「私も・・・幸せになっても、いいのよね?」
「もちろんさ・・・」
理奈は一度、前の夫と別れている。
子供を作る前に別れてしまったらしい。
過激な夫だったらしく、毎日酒と暴力。
彼女は、付き合い始めた当初の優しさと結婚後の乱暴さのギャップにひどく悲しんだ。
そんな時、私は彼女と出会ったのだ。
「私、蔭由が好き・・・だから、奥さんには悪いけど、この日を心待ちにしてた」
これは本当に、不謹慎な言葉だと思う。
岬の死を、自分の契機と結びつけたのだから。
でも、自然と私は、不謹慎であることを咎める事なんて出来なかった。
「前のあの人と暮らしてて思ったの・・・私の幸せって、この人に殴られること?って」
「うん・・・」
「それに疑問を持ち始めた頃、あなたと出会ったのよ、蔭由・・・」
「うん・・・そうだったね」
「本当にあなたに会えてよかった・・・そしてこれからも・・・・・・・・、ごめんなさい」
彼女は思わず泣き出してしまった。
きっと前の夫とのつらい日々を思い出したのだろう。
私はハンカチで自ら涙を拭く彼女が、美しいと思った。
「大丈夫、ずっと一緒だから・・・・」
「うん・・・ありがとう・・・・・岬さん、ごめんなさい・・・・・・・」
私は彼女の頭を撫でた。
柔らかい髪質が、私の指の間を通り抜けるこの感触は、滑らかで気持ち良かった。
彼女は、本当に優しい人。
今の話を聞けば、純粋に妻の死を喜んでいるように見えるかもしれないが、彼女は何度も岬を思って泣いた。
これから息子の陽二を育てていけなくなってしまった岬を悲しんで、泣いた。
岬の代わりに生んでもいない陽一を育てていく責任の重さに、泣いた。
何より、死んだ岬から蔭由を奪ったことで岬からの強い恨みを無意識に感じて、泣いた。
こんなにも、岬を感じて泣いてくれて、それでもなおこの私と一緒に居たいと願ってくれる彼女を、幸せにしたいと思った。
岬以上に、もっと。

それから数日後、私たちの元へ、再び岬の両親が訪れた。
幸いにも理奈は今日は家におらず、今は私と息子の陽一だけだった。
「お父さん?どうしたんですか、急に・・・」
岬の父と母は、しばらく黙っていたが、やがて母親の方が、そっと何かを手渡そうとしていた。
私は岬の母の手元にそっと目をやる。
その手に震えながらも、しっかりと握られていたソレは・・・・・・一本のビデオテープだった。
私の家には今だDVDが普及しきっていなかったので、ビデオテープを使った録画が主だった。
「これ、何?」
息子が何気なしに聞いた、このビデオテープは一体何なのか?
「これはね・・・・・・お母さんだよ」
「え!?お母さん!?」

刹那、俺は耳を疑った。

母親・・・・・だと・・・?

・・・・・・・岬・・・?

俺は何をその言葉が意味しているのか、言葉を反復することで懸命に思考を脳へと張り巡らせる。
私の理解よりも先に、岬の母親が答えを告げる。
「お母さんがね・・・ビデオの中に、お引越ししちゃったの」
「え~!?そんなことできるの?」
「できるとも・・・でも大人の人じゃないと入れないから、陽一君は無理かな?」
「へぇ~・・・そうなんだー」
陽一は彼らの言葉を疑おうとはしなかった。
いや、疑うことが出来なかった。
だって、息子は人生で一度も疑ったことなどないのだから。
新しく蓄積された知識を必死に記憶へと留めようとする。
「岬が・・・・・・・?」
「そうだよ、蔭由君・・・岬が、君と陽一君に残した、最後のプレゼントだ・・・」
「・・・・・・どうぞ」
岬の母は、涙を幾筋もテープへと落とし、震えた手でも必死にそれを落としてしまわないように・・・。
岬を愛してくれた、最愛だった夫へと、手渡してくれようとする。
俺はゆっくりとそれを、彼女から受け取った。
すると・・・ずん、と俺の肩に何かがとりついたかの様だった。
俺は背中を見てそれをあえて何かを確認をしなかったが、その重みは俺の肩に溶け込んでいった様に軽く、消える。
今となっては、それが何だったのか確認の仕様もない。
「ねーねー!早くー!ママー!」
息子がそのビデオが何なのか、早く見たいという好奇心を示す。
まだ岬の両親も見ていない様で、俺も早く岬が見てみたかった。
だから私は、そのまま何も言わずビデオデッキへと移動した。
それに連れて、息子と岬の両親も家へと入ってくる。

再生時間を確認すると、それはほんの数十分程度のものらしく、俺は少しだけ安堵した。
きっとお別れのために、息子に宛てたメッセージであると、その時思った。
そっとビデオデッキにビデオを入れ、沈黙の中ビデオの再生を押す。
すると、しばらくの砂嵐の後・・・・・・・今は亡き、岬の姿が、確かにそこにあった。

・・・・・
彼女はしばらく黙って、それから口を開いた。
どうやら彼女が以前入院していた病室で撮った物らしかった。
彼女は痛々しい管を腕に何本もつけ、病院が支給する寝巻きを着ていた。
あの頃の岬・・・そのものだった。

―久しぶりね、陽君。
元気にしてましたか~?

「うん!元気だよ!」
またしばらくの沈黙があって、息子の返事に合わせたかのように再び言葉を紡ぎ出す。

――うん、元気みたいね・・・良かった。
陽君は、ママが突然家にいなくなって、びっくりしてると思います。
ママが突然いなくなっちゃったのはね、ママがビデオの中にお引越しをしちゃったからで~す。

彼女はあくまで、陽気な声を装う。

―陽君はきっと寂しい思いをしてると思うけど、ママのお願いは一つだけです。
それは・・・「パパと一緒に、ずっと元気に暮らしていくことです」
これから、ママが傍にいないから、大変なこととか、悲しいことがたくさんあると思います。
でも、そんなのには負けない、つよーい陽君でいてほしいです。
ママは他に何も望みません・・・ただ、陽君が「パパと仲良く暮らしてくれる」だけで、十分。
ママと約束してください、陽君。
もし、約束してくれたら、また陽君とも必ず会えます。
それまで、絶対に、いい子でいてください。
陽君は優しいし、きっと強い子です。
・・・それじゃあ、ばいばーい。

「ばいばーい!」
息子はビデオが砂嵐になった今でも、テレビに向かって手を振っていた。
また、母と会える日を胸に待ち望んで。
岬の両親は、唖然とした顔で今だテレビを見つめている。
そして、静かに、本当に静かに、一筋の涙を流した。
俺は・・・・・・自分の予想が当たっていたことにほっと安堵する。
別に何かを不安に思っていたわけでもないが、安堵の溜息が漏れた。
涙を流すことはなかった。
私は、今からのセカンドライフに胸を膨らませていたのだから。
別に岬を嫌っていたわけでもないし、好きな方だった。
しかしその好きが一体、どんな愛情を含んでいたのか、それは忘れてしまった。
一つだけ確かなのは、それは一番じゃない・・・ということ。
理奈を目の前にした今、それは疑念から確信へと姿を変えた。
俺の一番は、理奈であって、岬じゃない。
それを確信へと変える意味では、この岬の最期のメッセージを見れたのは、良かったのかもしれない。

「僕・・・絶対、いい子になる」
その時、ふと息子が言葉をつぶやいた。
それは誰かに告げたものではなく、まるで自分に言い聞かせているかの様で、少し不気味だった。
その後すぐに岬の両親は帰って行った、しかしビデオテープは息子が持ったままだったので、置いて帰った。
「それじゃあ蔭由さん、また・・・・・・・」
台詞を一つ残して、玄関の扉を閉める。

部屋に小さな静まりを感じて、俺は滞っていた思考を再び張り巡らせる。
岬の母親は、今「また」って言ったんだ・・・・・。
それが意味することは・・・・・・ビデオは一本ではない、ということ。
そしてそれがどんなタイミングで、ウチに渡されるか分からないということ。
ということは、安易に理奈をこの家に呼ぶことは出来ない。
もし理奈が見つかってしまえば、少なからず岬の両親は心を痛めてしまうだろう。
口では「いい」と言ってくれてても、いざ真正面に理奈を目にすると、憤慨してしまうかもしれない。
うかつな行動は危険であることを、何よりも俺の胸に警告していた。
そんなことをうかうかと考えていると、息子は何をしているのかふと心配になった。
久しぶりの母親の顔に、また恋しくなって駄々をこね出すかと思った。
しかし・・・・・陽一の決意は、実に固いものだった。
息子は、なんと散らかっていた玩具を、片付け始めたのだ。
それは一見、普通なことなのかもしれないが、我が家で息子が玩具を片付けることは極めて稀である。
岬がこの家にいて、息子を叱った時でさえ、聞こうとはしなかったのに・・・。
私は不思議に思って、息子に思い切って尋ねてみた。
「あれ?陽一今日は素直だなー?・・・どうしたんだ?」
「だって、いい子にしてたら、ママにまた会えるんだもん」
「・・・・・・」
俺は絶句してしまった。
息子はまた視線を玩具へと向け、黙々と玩具を片付け始める。
母親と再会するための、一歩を進める。
その時、俺は気づいてしまった。
このビデオは、岬の両親宛てでも、夫の私宛てでもなく、紛れもなく息子の陽一宛てであったということを。
まるでこのビデオが、俺と陽一の足枷になっているかの様に、岬の予定調和になってしまっていることを不気味に感じる。
理奈という存在を、この家庭に持ち込ませない様な、「変わらない家族」を作るために。

私はまた理奈と落ち合うことにした。
陽一が寝静まった頃に、私は彼女に会うため、静かに家を出た。
この間の喫茶店ではなく、私が理奈の家へと向かう形となった。
私の家には陽一がいるし、いきなり知らない女の人がいたら驚いてしまうだろう。
理奈の家は私の家からは徒歩20分程度の場所にある小さなマンション。
私はインターホンを鳴らし、彼女の了承を得る前に家の中へと入った。
別にインターホンなど鳴らさなくとも、ここは私の第二の家なのだから、そんな必要もないのだけれども。
部屋には既に理奈がお茶を入れて待っており、彼女は何も言わずこちらに笑顔だけを向けている。
「おかえり」
私が家へと入ってきて、彼女がこう言い始めたのは、一体いつだっただろう。
「ただいま」
私も彼女の笑顔に笑顔で答える。
彼女のはにかむ顔が、少しだけ岬の笑顔と重なった気がした。

私は彼女に岬からのビデオについての旨を伝えた。
彼女は相槌こそ打っていたが、何か私に言うわけでもなく、黙って聞いていた。
そしてすべてを言い終わって、彼女は一言だけ、誰に言うわけでもなく、ぽつりと言った。
「本当に・・・陽一君が、好きだったんですね・・・・・」
それはもしかしたら、今は亡き岬に向かって言っているのかもしれなかった。
「それでさ、君と陽一を会わせるのは、ちょっと今難しいかもしれない・・・」
「どうして?」
「陽一が最近おかしいんだ・・・身の回りの片付けをするようになったし、すごく、いい子なんだ・・・」
「それは、いいことじゃないの?お母さんがいなくなったことを実感して、しっかりしなきゃ!って思ってるんじゃない?」
「違う・・・陽一がいい子なのは・・・・・・また、ママに会えるからなんだ」
「え?」

(だって、いい子にしてたら、ママにまた会えるんだもん)

息子の一言が、数日経った今でも、耳から離れない。
私は息子がいい子になったことを、素直に喜ぶことは出来なかった。
息子の中で、岬はまだ生き続けている。
私の目の前で息を引き取った彼女が、まるでビデオの中に本当に引っ越したかのように、この家では生きている。
死んだはずの人間が、生きている。
「だから・・・今理奈を新しい母親だと言って紹介しても、仲が拗(こじ)れるだけだと思う・・・」
「・・・・・・」
彼女はしばらく黙ったあとで、またさっきの笑顔を作る。
「そうよね、うん・・・分かった。もうしばらく待ってみよっか」
「あぁ、そうしてくれ」
「だいじょぶよ、今まで待ってたんだもん、もうちょっとくらい待てる・・・それに、蔭由はこうして会いに来てくれるし」
理奈は向かいの私にそっと近づいて、優しいキスをする。
私たちは目を閉じ、互いの触れるすべてを感じる。
すると唐突に彼女は鋭敏に私の口に舌を入れる。
「もう外じゃないんだから・・・ね?」
「・・・・・・あぁ」
私は身を彼女に預け、またゆっくりと目を閉じた。
その日は、彼女の危険日だったらしく、私は前戯で済ませ、彼女の匂いを纏って、家へと戻った。

「ただいまぁー!」
「おぉーおかえり陽一・・・・先生、今日もありがとうございました」
「いえいえ。陽一君、またねー」
「せんせいさようなら!」
私は息子の幼稚園へといつもどおり迎えに行った。
息子の手は相変わらず泥だらけ。
きっと帰りのこの時間までずっと砂場で遊んできていたのだろう。
私はそんな泥だらけの手をいとおしく思いながら陽一と手を繋いで家へと向かった。
その時、幼稚園の前にたむろしていたお母さん三人に呼び止められた。
「灯山さん!・・・ちょっといいかしら?」
「あ、こんにちは。陽一がいつもお世話になってます」
「いえいえ~こちらこそ仲良くしてもらって!あ、陽一君。ウチの蓮と遊んできたら?」
「はーい!蓮くーん!あーそーぼー!」
息子は蓮君のいる砂場へと再び戻っていった。
するとお母さんの中の一人が、静かな声で聞いてきた。
「奥さん・・・亡くなったんですって?」
やはり本題はそのことだったようだ。
私はこれまで同様、「かわいそうな」夫を演じる。
「はい、家内は先日・・・」
「大変ねぇ~・・・男手一つはこれからがねぇ~・・・旦那さんが家事もなさるの?」
「はい、家の家事は全部自分でやってます。陽一も最近は家事を手伝ってくれてますし」
「あらぁ~えらいのねぇ~・・・もう陽一君に話しましたの?」
「いえ、まだ・・・陽一はまだ家内が亡くなったことにも気づいていないので・・・」
「そうよねぇ~・・・まだ幼稚園だもの、仕方ないわ」
「でも、家内がビデオを残してくれていて、・・・まだ何本かあるみたいで、家内の両親が持ってます」
「そうなのぉ~・・・奥さんも無念でしょうにねぇ・・・何かあったらいつでもおっしゃってね?」
「はい、ありがとうございます」
「ところで旦那さんは、再婚とか考えてらっしゃらないの?」
私はその言葉で、背筋が凍りそうになった。

再婚。

俺は一瞬、ほんの一瞬だったと思う。
その顔を彼女たちに向けることが出来なかった。
それでも、表情に焦燥が表れないよう、顔を上げる。
「実は、少し・・・考えてます。やっぱり、私だけでは陽一を育てていくことは出来ないと思います」
私は言い切る前に強く歯を噛みしめ、舌を間に挟んで激痛を走らせる。
「やっぱり、そうよね」
集団のお母さんの一人がそうぽつりと言った。
俺は自分の返答が「不謹慎」「不相応」であったかのように網を張り巡らせる。
やがて、それが杞憂だったことを知る。
「私もね、一回再婚してるのよ」
「・・・・・・・山本さん」
山本さんと言われたその人は、どうやら主婦の間ではあまり歓迎された存在ではないようだ。
少し私たちとは離れていた彼女はゆっくりと近づいてきて、まるで自分に言い聞かせるかのように語る。
「私は前の主人といざこざがあって、別れて、すぐに再婚したの」
「そ、・・・そうなんですか・・・」
少しだけ薄い影を纏い、気持ち痩せた女性が私の瞳を遠くから覗いた。
「でもね、やっぱり女で一つとか、男で一つで子供育てるのって・・・無理なの」
彼女は、はっきりとそう言った。
こうもはっきりと。
「自分だけお母さんがいないことに何かしら感じることはあるのよ、子供だって」
「山本さぁ~ん・・・灯山さん困ってるわよ・・・ねぇ?」
「再婚だって、子供に母親の記憶が染み付いてしまう前にしちゃうのが、いいと思うわ」
「・・・」
迎合することを知らない彼女は、他のお母さんの制止も聞かないで俺に痛烈な言葉を投げかける。
いや、それはもはや痛烈ではなくなっていたかもしれない。
彼女が自分に言い聞かせているように、また、妻を失った私を諭すかのように。
「ちょっと山本さん、灯山さんだって、今奥さんを亡くしたばっかりなのよ?何もそんなに再婚再婚って言わなくても良いじゃないの?」
彼女を忌み嫌う一人のお母さんが、山本さんに言い放つ。
それでも山本さんは一言も発さず、そのお母さんに見向きもしなかった。
ただじっと、私の瞳を変わらずに覗いていた。
しばらくの沈黙の後で、陽一がこちらに向かって走ってくる。
陽一は何故か、声を上げて泣いていた。
「どうした?陽一・・・」
「あのねぇ・・・・・・・蓮君が、僕のお母さんは、もういないんだって・・・・・」
「え?」
「僕のお母さんは、死んじゃったって・・・・言うんだよ?」
「・・・・・・」
すぐに蓮君もこちらに走ってきて、言った。
「だって、お母さんが、そうだって言ってたんだもん」
蓮君のお母さんは青白い顔をして、私の視線に気がつくとはっと視線を逸らした。
他のお母さんもこちらは見ず、敢えて聞こえていなかったかのように装う。
そんな中で、山本さん一人だけが、私から視線を決して逸らさなかった。
「お母さん・・・また、会いに来るって、言ってたよね?」
俺はその時、陽一に言葉をかけることは出来なかった。
いやもしかしたら、そこで嘘をつくことは、いくらでもできたのかもしれない。
でも、岬の死を一度勘付いた陽一に、下手な嘘は虚偽であることをすぐに見破られてしまう。
その時ばれなくても、いずれ気づく彼女の死への悲しみが、大きくなるだけ。
俺は、その時陽一ではなく、彼女に言葉を投げかけた。
「山本さん・・・・・・」
「なんですか?灯山さん」
「もし、子供が、母親に感化されてしまった後だったとしても・・・再婚は、できますかね?」
「・・・・・・」
問いかけたにもかかわらず、彼女は何も話さず、私と視線を交わすこともなくなってしまった。
息子の泣き声だけが、幼稚園の外に木霊していた。

数日後。
俺たちは思い切った行動へと移った。
「陽一、今日はこの前行きたがってた遊園地に行かないか?」
岬の葬式場で、陽一が何気なく言ったその言葉。
「・・・うん!行きたい!」
息子は無邪気に俺の誘いに乗ってきた。うむ、可愛い息子だ。
「よし!じゃあさっそく準備するんだー」
「おぉー!」
息子は家の中を走り回って遊園地に行くための身支度を始める。
俺も息子の微笑ましい光景を背に、岬の仏壇へと赴く。
岬の仏壇は一日を主に過ごすリビングとは別の和室に置いてある。
洋質なリビングや陽一の部屋と違って、この和室だけが空気が張り詰めている。
もしかしたら、この和室は昔から岬のために空いていたのかもしれない。
「ははっ・・・」
俺はなんだか、この予定調和がおかしく感じた。
まるでここが、岬の部屋みたいだなって感じた。
岬と死別して新しい生活を始めようとしているのに、岬をこの部屋に閉じ込めているのは、俺。
まるでこの家に植えつけられたかのように重い、オモイ岬の仏壇。
皮肉なもんだ。
俺はゆっくりと岬の前に座り、手を黙って合わせる。
「いってくるよ、岬」
笑いもせず、淡々と俺は「行って来ます」を告げた。
「おとうさーん!」
息子は身支度が整ったのか、俺を呼んでいた。
「陽一!ちょっときなさい」
「なーに?」
息子は畳に足が馴染まないのか、足の裏を少しだけ確認しながら近づいてくる。
「お母さんにも、いってきますって、言って行きなさい」
「・・・」
息子は、一体そのときどんな顔をしていただろうか。
無機質な仏壇を前に、「お母さん」と言われて、どんな表情をしていたのだろうか。
俺は怖くて、じっと飾ってある岬の写真を見つめていることしかできなかった。
彼女はフィルムを通して、絶えず笑顔を振りまいてくれている。

「いってきます」

息子はそう言って、部屋を黙って出て行った。
俺はしばらく、岬の写真を見ていることしか出来なかった。
しかし息子が玄関の戸を開ける音で、はっとした。
息子は、母の死を、受け入れてくれたのだろうか?
幼稚園の友達から告げられたことを、甘んじ、受け入れてくれたのか。
俺は、息子にもう一度「お父さん」と呼びかけられるまで、放心していた。
岬、行って来ます。

俺たちは何本かと電車を乗り換え、少し大きいテーマパークへと辿り着いた。
そこは大人が楽しむ、とは言えない小さなアトラクションしかなかったが、まだ幼稚園児の陽一に丁度良い。
この辺りは一応都会の部類に入り、追々と茂る緑を楽しむというより、退廃を微塵も感じさせることのない近代の文明を謳歌する場である。
息子にはもちろん、自然の生命力と共に戯れ、感受性を豊かにしてもらいたい。
でも、そんなことよりも、大事なことが、今日ある。
「あ、蔭由ー!」
彼女は俺を見つけ、大声で呼びかける。
俺も彼女の声を聞いて、彼女を見つけた。
「遅いじゃない、10分も待ったわよ?」
「ごめんごめん!・・・あ、息子の陽一」
「こんにちわぁー陽一君、初めまして」
「・・・こんにちわ」
「陽一、こちらは間宮理奈さんだ」
「・・・」
陽一は初対面の女性と向き合い、警戒しているようだった。
「よろしくね、陽一君」
理奈は再び陽一に微笑んだ。
しかし、陽一の眉間の皺は緩むことがなく、遊園地での長い一日が始まった。
今日は、3人。

俺たちは、陽一を間にして手を繋いで歩いていた。
しかし、息子はあれから一言も話さなかった。
俺と理奈が話しているのを、俯きながら黙って聞いているだけ。
深く被った帽子の隙間から、時折理奈の顔をうかがっているようだった。
理奈も困惑しているようで、俺はこのままでは埒があかないと悟り、思い切って話を振ってみた。
「陽一?次は何に乗る~?メリーゴーランドか?」
「・・・乗りたくない」
「じゃあ、何に乗りたいんだ?」
「・・・」
息子はまた黙りこくってしまった。
遊園地に着てからというものの、まだ最初に陽一が路上のパンダの大きな乗り物に乗っただけだった。
「陽一君、遊園地楽しくない?」
理奈が陽一に直球の質問を告げた。
「うん・・・・・楽しくない」
「どうして?」
「お姉さんがいるから・・・」
「・・・・・そっか」
しばらく三人無言で歩き続け、
「ごめんね、私で」
理奈は陽一に謝った。
陽一はばっと、理奈の顔を見上げた。
太陽が丁度延長線上に見えたのか、少しまぶしそうだった。
「陽一君、お母さんと来たかった?」
「・・・」
陽一は最初何も言わなかったが、
「うん・・・」
自分の素直な気持ちを、理奈にぶつけた。
「そうだよね・・・ごめん」
理奈がもう一度謝ると、陽一は今まで握っていた理奈の手を突き放した。
「僕、お姉さん嫌い」
「こら陽一ッ!!」
さすがの俺もこの一言には頭にきた。
「そんなこと言っちゃダメだろっ!?どうしてそんなことを言うんだ!!!」
「だってだってぇ!!この人誰なの!!?僕会った事もない人なのに、お父さんと仲良しで、僕・・・・・・・・」
今まで黙っていた陽一が始めて今日怒声を浴びせた。
陽一は俯いてその場に立ち尽くしてしまった。
帽子を深く被って、じっとして、ただただ涙を我慢している。
人前で大声で泣いちゃうのは、ダメだって・・・・・岬に言われたから。
「陽一君、お母さんのこと、好き?」
陽一が俯いて、鼻をすすっている時、ふいに理奈は陽一に言った。
「うん・・・好き・・・」
涙でぐしゃぐしゃになって、声がしゃくってうまく出なくても・・・はっきりと、伝えた。
「そっか」
うん、と自分で頷くと、俺のほうへと向き直った。
「それじゃあ、私帰ります、お先に失礼します」
「あ、あぁ・・・ごめん、今日は来てくれてありがとう」
「うん」
理奈は最後まで、笑顔を絶やさなかった。
俺はその後陽一を泣き止ませて、おんぶして連れて帰った。
帰り道、陽一は俺に一言も話さなかった。
電車から眺めた夕焼けは、本当に「寂しい」を醸し出している。

その次の日、俺は再び理奈の家を訪ねた。
電話を一本入れると、快く迎え入れてくれた。
部屋は相変わらず整然としている割に、唯一ソファーの上だけがシャツがあったり、散らかっていた。
それはまるで、そのソファーだけが彼女の「生活空間」であるかの様。
所詮部屋という空間は、自分を着飾る「シャンデリア」の一部でしかない。
「理奈・・・今日は、ごめんな」
彼女の姿も見えないうちに、私は彼女に謝罪をしていた。
それは彼女の悲しみを映す顔を見ずに、自分の率直な謝罪を聞かせたかったという「本当の申し訳ない気持ち」と「逃げ」が交じり合って。
リビングまで数歩進めると、そこには散らかったソファとは反対側においてあるソファに座るいつもの理奈がいた。
彼女は私が家に入ってきたことには気づいてなかったらしく、少しだけ驚いた顔を見せて、私にいつもの笑顔をつくった。
「いらっしゃい、蔭由」
また微笑んだ。
俺はそんな理奈の優しさを見てると、自分自身の顔が歪んだ。
今にも涙に滲んでしまいそうな、そんな表情。
「どうしたの?そんな顔してー」
彼女は私に何度も笑顔を振りまいた。
その笑顔がこびりついた火の粉はついに俺の心を燃やし、彼女をそっと抱きしめた。
「ごめんなぁ・・・・ちょっと、早すぎたのかなぁ・・・・」
俺が、息子の陽一を急かしてしまった。
まだ理奈と陽一を会わせるべきではなかったのかもしれない。
「いいの・・・蔭由は何も悪くないわ・・・・」
彼女も黙って目を閉じて、私を抱きしめてくれた。
俺たちは何かをするでもなく、ただただ抱きしめあっていた。
「会わせなきゃ良かった、なんて言わないで・・・」
急に彼女は私の耳元で、本当に小さな声で言った。
「それじゃ私、陽一君のお母さんじゃ、ないみたいじゃない・・・?お母さんが息子に会って、後悔されなきゃいけないの?」
「・・・・・・いや、そんなことはないんだ、理奈」
俺はその時、驚いてしまった。

彼女は既に・・・陽一の母親でいてくれたのだ。

岬が亡くなって涙したあの日から、彼女は陽一の母親として、接してくれていたのだ。
俺はそれを思って、彼女に今まで謝ってきたことを「謝った」。
「今ね、私・・・最低な感情を持ってるの・・・本当に最低だと思う」
私ではない誰かに言っている。それは間違いない。
何故なら彼女は、俺の背中の向こう側を向いて話しているからだ。
「それはね、岬さんへの、嫉妬」
嫉妬。それは人間が愛とは対となって持つ「羨ましい、妬ましい」と相手の栄華や名誉を欲する人間の欲望。
「私だって、母親になりたい・・・だから、岬さんに負けないくらい、陽一君に好かれてみせるから、ね?」
彼女は最後まで、私の脳裏に笑顔を刻んだ。

「いつか、陽一君がお兄ちゃんになる時が来るように・・・」

それは、これからの理奈の努力を、布告した言葉。
同時に、俺との生活を強く結びつけるものだった。
俺と理奈との間に、もう一人の子供が生まれるその時が来ることを願って。



息子は小学生になった。
身長を急激に伸び、少しだけ顔立ちが青年へと近づいた・・・気がする。
あれから数回、理奈と陽一を会わせてみたが、どれも同じような反応しか示さない。
理奈は息子の冷たい態度に臆することなく、陽一の母親であり続けようとしてくれていた。
陽一と別れる時、彼女はいつだって明るい笑顔。

入学式の数日前、入学祝にランドセルを送りたいという岬のご両親の要望から、今日は昼から家に来る約束になっている。
息子は一足先に届いた教材に目を回し、教科書には見向きもせず、算数の教材(特におはじき)に夢中であった。
しばらく息子とおはじきを使ってすごろくをしていると、家のチャイムが鳴った。
戸の先には、岬のご両親がいた。
「どうもお久しぶりです。上がってください」
「・・・・・・」
二人は俺の顔を見つめていた・・・まるで敵を偵察する部隊の様。
黙って二人は俺の後を追った。
陽一は二人の姿を視界にとらえ、家へ歓迎した。
「ありがとう、陽一君」
岬の葬式の日とは違って、陽一も感受性の成長が見受けられた。
陽一の顔には、今まで以上に豊かな感情が芽生え、俺と理奈はその成長を嬉しく思った。
陽一がおはじきを手で転がしながらテレビに釘付けになっている時、岬の両親がすっと俺に近寄ってきた。
「蔭由君・・・・・・これを」
岬の父親が俺に手渡してきたものは、一本のビデオテープ。
「えっ・・・・・」
俺は正直に驚いて見せた。
しかし、俺はこの事態を、ある程度の予測はしていた。
岬からのビデオレターは一本だけではない。
それは一本目が来た時から薄々感じていたことではなかったか。
俺はそのまま黙って岬の父親からビデオを受け取った。
「・・・」
俺は、その時の岬の両親の睨み付ける様な顔を今でも忘れない。
きっと・・・まだ岬が生きているようで死んでしまった事実を、受け止めきれないのだろう。
ビデオの中の彼女は、あんなにも生き生きとしているのだから。

そのビデオをそのまま黙って陽一の前に出した。
陽一は最初ビデオがどうかしたのか不思議がっていたが、すぐにそれが母からのものだと気づき、俺から奪い取った。
「!!・・・これって・・・ママ、の・・・・・・?」
俺は何も言葉を発することなく、黙ってうなずいた。
陽一はまじまじとビデオを眺め、恐る恐るビデオデッキにビデオを入れた。
ビデオに映し出された岬は、一本目のビデオの頃と変わらず病室でベッドに寝ており、こちらに笑顔で手を振っていた。

―陽君、元気にしていましたか~?
小学校入学おめでとう。
あんなにちっちゃかった陽君が、こんなに大きくなってて、ママびっくりです!

「・・・・・・・」
陽一は相槌を入れることなく、黙って岬の話を聞いていた。

―さて・・・陽君が小学校に入ったら、陽君にもたくさん嬉しいことや、悲しいことがあると思います。
でも、きっとつらいことのほうが、多いと思います。
それでも陽君は、絶対に、今までの笑顔が似合う陽君のままで、いてください。
ママは陽君の成長をここからずっと見守っています。

あと・・・パパに迷惑はかけちゃだめだぞ?
きっとママがいなくなって、パパは苦労しています。
でも、陽君もあんまりワガママ言っちゃダメ。
二人で一緒に、頑張っていってください。

「・・・・・・・」
陽一は、この時、確かにこくり、と頷いた。
俺は陽一が岬と何か一種の誓いを重ねているかのように見えた。

―それじゃあ陽君、ばいばーい。
いい子にしてたら、また会えるから。

彼女はたった一言、最後に告げて、砂嵐へと消えていった。
今そこに映っていた彼女が、夢であったかの様に、こんなにもあっさりと。
「ばいばい」
陽一だけが、ビデオに向かっていつまでも手を振っていた。
岬、母親との別れを、今その瞬間も名残惜しんでいる。
岬の両親は、ビデオを見終わるとすっと立ち上がって部屋を出て行こうとする。
俺は慌ててその後を追った。
「今日は、陽一のランドセルありがとうございました」
「いやいや、陽一君は僕たちの孫だからね・・・」
「また、いずれ・・・」
二人はその時笑顔だった。俺は内心安堵する。
陽一は、玄関に両親の見送りにも来ないで、ただ岬に「ばいばい」するだけだった。

その日から、陽一が理奈を拒むことはなくなった。
だからと言って喜んでいる様子には見えなかったが。
そんなちょっと無機質で、ぎくしゃくした状態が続いて半年。
陽一も小学校に慣れ、理奈と共にする食事も数え切れないほどになっていた。
それでも陽一は一度も駄々をこねたり、愚痴を言ったりせず、黙って食べることに専念していた。
理奈の方も絶やさない笑顔で、陽一にご飯を作っている。
上手くいっている様に見えるかもしれないが・・・・俺には到底そんな風に見えなかった。
陽一が理奈とこんな関係になったのは、あの岬のビデオの数日後だった。
俺には息子の素振りがとても不自然に見受けられたのだ。
あんなにも嫌っていた理奈に、数日後こんなにも態度を変えて・・・。
俺から見れば、息子はまるで、岬に洗脳されているようだった。
「陽一君、おかわりいる?」
理奈は陽一に茶碗を渡してくれるよう手を差し伸べていたが、陽一はそれを一瞥して自分でご飯をよそっていた。
「・・・・・・」
理奈は少しだけ、ほんの少しだけ寂しそうな顔をして、俺の視線に気がついてまた笑顔に戻る。
俺は理奈の笑顔が眩しくて、さっと目を逸らした。
陽一も黙々とご飯を食べるだけで、俺と理奈の会話には一切口出ししてこなかった。
本当にただ、食べているだけ。

もしかしたら、本当に理奈を少しだけ、受け入れているのかもしれない。

同時にそんなことも思っていた。
いや、思っていたわけではない。
そうであればいいと、俺は願っていたんだ。
だから俺は理奈に、一つ、提案をしてみた。

「理奈・・・そろそろ、ウチで暮らさないか?」

俺と理奈と陽一が一緒に暮らす。
俺が岬がまだ生きていた頃から望んでいた、大きな願い。
その枠に、岬の姿はなかった。
「えっ・・・一緒に?」
「あぁ」
「本当なの・・・?蔭由」
「本当だよ」
「・・・・・・」
「な?いいよな、陽一・・・・・・」
理奈は本当に驚いた顔をしていた。
そして・・・・・・・とても嬉しそうだった。
数年間、理奈も俺と同じくらい、いやそれ以上に待ち望んでいたのだ。
陽一に好かれようと精一杯の努力を見せてくれた。
きっと陽一も、その努力を知って、自分の身に直に受け取って、感じて、心をほんの少しだけ開いてくれたんだ。
だから俺は思い切ってそんな提案をした。




 「そんなの駄目だよ!!!!!!!!!!!!!!!!!絶対ッ!!!!!!!!!!!!!」




今まで黙っていた陽一が、大声で怒鳴り散らかした。
これまでかつて見せたこともない形相で、理奈を見ていた。
「ど、どうした陽一・・・」
「なんで!?!?!どうして一緒に住まなくちゃいけないの!?」
その形相は、陽一が小学生であることを忘れさせるほどに、恐ろしい顔だった。
俺は思わず、たじろぐ。
「ど、どうしてって・・・理奈は俺たちの家族じゃないか・・・」

 「この人は家族なんかじゃない!!!!!!!!!!」 

陽一は、はっきりと理奈を指差して、こう言った。
「知らない人と一緒に住むなんて、嫌だ!!!!!!!!!」
「家族っていうのは僕とパパと・・・ママのことを言うんだ!!!!この人は、家族なんかじゃない!!!」
何度も、何度も理奈を指で差して言った。何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
人差し指を理奈に突きつけて何度も何度も何度も。
「家族なんかじゃない」と言う度に、彼女を邪魔者扱いした。
いや、その指の指し方は、もう既に、自分に一切関わりなどない害虫に向けたソレだった。
俺は必死に陽一を止めようとしたが、陽一は一向に止めようとはしない。
むしろ最初以上に彼女を人間だと扱おうとはしなかった。

 「出て行け!!!!!!!!お前が家に居ると迷惑だああああああああああああ!!!出てけえええええええええええ!!!」 

「やめなさい陽一!!!お前のお母さんなんだぞ!?」
俺は陽一の頬をぶった。
息子の頬をぶった瞬間、俺の脳裏には怒りと後悔が渦巻いた。

しまったって・・・・・・思った。

陽一は少しだけ驚いていたが、すぐにまた怒鳴り始めた。

  「コイツは俺のママなんかじゃない!!!!!!!!!!うわああああああああああああああああああああぁあぁあ・・・・ああぁぁ・・・ママああぁあぁぁあ」 

陽一の怒鳴り声は次第に小さくなり、少しずつ涙を含んだ。
それはすでに呻き声へと変わり、母親だけをただ求める、本当に可愛くも、可哀想な我が子だった。

 「ママああああぁぁぁああ・・・ママああぁあぁあっぁぁっぁぁあ・・・・・・帰ってきてよぉぉぉおおぉぉ・・・・・・っ・・・」 
陽一の手は、どこか彼方を差し伸べられていた。

 「ママどこなのぉぉぉぉおおぉ・・・・いい子にしてるのに・・・・・・・・何で帰ってきてくれないのおおおおおおおぉぉぉぉおぉぉ!!ママあああぁぁぁ!!!!!!!!!!!」 

だが、誰もその手を引張ってはくれず、だらんと床に転がる。
息子は俺の手を振り払い、夕飯が散らかった床で、大声で泣きじゃくるだけだった。
俺は、そっと理奈の方に目を向けた。
理奈は・・・もう、笑わってはいなかった。
俺の視線に気がついても、無理に笑顔を作ろうとしなかった。
ただ・・・・・・顔を歪める事もなく、ぽろぽろと、涙を零した。
彼女はきっと、ただ悲しいから、泣いているわけではないだろう。

今まで彼女は、数年という長い月日を投じて、陽一に自分の愛情を一身に注いでいた。
それなのに、陽一の、死んでしまった母親への愛情の強さに、自分の愛が劣っていることをはっきり証明されたことへの、嫉妬。

悲しみを誰にぶつけることも出来ず、絶対に認めず、死んでしまった岬を求め彷徨う陽一を、可哀相だと、理奈は言った。
だから、陽一に、その悲しみを受け入れる強さを持ってもらうために、自らが母親になって、一緒に受け止めてあげようと誓った彼女が、その使命を果たせなかったことへの、後悔。

それが、彼女の黙って背中を向け涙する姿からひしひしと伝わってくる。
理奈は、陽一の方を向かず、泣きじゃくる声にかき消されてしまう薄い声で、それでもはっきりと、告げた。
「ごめんな、さい・・・・・・・」
その日から、理奈が家に来ることも、陽一が理奈と会うこともなかった。
俺の何気ない提案で、陽一と理奈の仲は絶望的なほどまでに崩れ、それは数年に及んだ。

あの日まで・・・最後の、岬のビデオレターが、岬の両親から手渡されるその日まで。




「え・・・見て行かれないんですか?」
「それは、君と陽一君に宛てたものらしいからね」
三本目の岬からのビデオレターは、俺と陽一宛て。
そこに、岬の両親は含まれていなかった。
「これで岬からのビデオは最後なんだ。娘のワガママに付き合ってくれてありがとう、蔭由君」
「いえそんな、ワガママだなんて・・・」
「これで、岬ともさよならってわけね・・・蔭由さん」
「え・・・?」
「こらよさないか!!・・・・・・それじゃあ、さようなら、蔭由君」
「はい、また・・・」

 どこかで。

俺はそのビデオのラベルを見て、そこで初めて、岬の母親の言葉の棘の意味を理解する。

『蔭由、陽一、新しい陽一のママへ』

俺はまず陽一にこのビデオを知らせる前に、理奈へと電話を掛けた。
理奈と俺はあの日からも何度も会っており、理奈もまだ、陽一との生活を諦める気はなかった。
俺は理奈にも岬のビデオを見て欲しいのだと伝えると、少しだけ黙った後、了承してくれた。
陽一は今まで通りに俺と接してくれているが、幼い頃の面影は、もうなかった。
身長も伸び、声も低くなり、男性としての体格に変化し、少しずつ大人へと近づいている様子を、俺は嬉しくも思い、不安だった。
父親とはこういうものなのか。
子供の成長を間近で見守り、時には助け、いつか自分を越えてしまうことに成長の嬉しさと、手の届かないことへの一抹の不安を同時に抱える。
母親がいなくても、男一人でここまで育ててこれたことを、感慨深く思った。
ふと、陽一が幼稚園に通っていた時のお母さんの一人だった、山本さんを思い出した。
彼女は俺に、決して再婚を否定しなかった。
男手一人で子供を育てることは、絶対に無理だって、俺に言った。
確かに、俺一人の手では、陽一を育てていくことは出来なかっただろう。
でも・・・俺は、一人じゃなかった。
今の今まで、決して一人になることなんて、なかった。
少なくとも理奈は陽一のためにご飯を作ってくれたし、陽一は感じてくれなかったかもしれないが、精一杯の愛情を見せてくれた。
それに、陽一があんなにいい子に育ったのは・・・岬のビデオレターがあってこそだったと思う。
岬が居た頃はすっごくワガママだったアイツが、今では一人で何でもやり遂げる、一人の男として成長してる。
もしもまだ生きていたら、何て言うだろうな、岬。

ありがとう。
多大な感謝と、せめてもの、ささやかで、小さな愛を込めて。

俺と理奈はリビングに入る手前の戸の前で立ち尽くしていた。
数年間の空白が、その戸に圧縮されている。
理奈の表情には余裕がなく、怯えや恐怖といった感情も垣間見れる。
陽一という存在が、理奈の中でひどく恐ろしいものだと、無意識に思い込んでしまっているのだ。
俺は彼女の震えを止めてあげたくて、そっと肩を抱いた。
彼女は俺の方を向くことはなかったが、俺の肩に乗せた手に自分の手を重ねて、少しだけ治まった震えを俺の手に伝えた。
小刻みに震える彼女の体は、同時に岬の愛の強さを感じさせた。
岬の愛の強さ故に、彼女はこうして恐怖しているのだから。

俺と理奈はゆっくりとリビングに入る。
すると、陽一は俺たちを出迎えるように目の前に立っていた。
「・・・さっき、おじさんとおばさん、来てたでしょ」
「え・・・あ、あぁ・・・来てたよ」
「ママは?・・・」
まるで岬の両親のことなど、どうでもいいかのように、俺に聞いてきた。
「・・・いるよ、ここに」
俺は陽一にゆっくりとビデオを手渡した。
陽一はそれをばっと奪うと、そのラベルを確認してこっちを睨んで来た。
一瞥の後で、陽一はビデオデッキへと手を伸ばした。
ガチャン・・・ビー。
テレビが岬を入れたビデオを再生するまでに準備を重ねる。
そして画面には、これで三度目の、岬の病室と、岬の笑顔でこちらに手を振る姿があった。

陽一の母親を見つめる姿は、あの幼かった無垢な姿と、重なった。


―陽君~元気にしていましたか?・・・・・・元気そうですね。
こうしてあなたがこのビデオを見ている頃、一体いくつになっているのか、ママには分かりません。
でも、きっと大きくなって、パパの背だって追い越しちゃいそうなくらい、立派になっていると思います。
だから・・・陽君はもう知っていると思います。
本当は、ママが何処に居るのかっていうこと。

彼女は、三本目のビデオレターで、息子に真実を話し始めた。

―ママはね・・・今、天国にいます。

お空の上から、陽君やパパをずっと今まで見守ってきました。
だから、陽君とパパのことは何でも知ってるんだよ?

ママが死んじゃった時、陽君はまだちっちゃかったから、悲しいなんて、思わなかったよね?
ママがビデオにお引越ししちゃって、ちょっと寂しかっただけ、だよね・・・?

陽君が小学校に上がった時、パパは小学校に必要だったナップサックとか、エプロンとか、作ってくれたよね?
授業参観も、きっと私の代わりに何度も観に行ってくれてた、よね・・・?

・・・・・・・・・・・・・全部分かった様に言ってるけれど、本当はどうなのか、ママには分かりません。
ママが知っている陽君はね、あの頃の小さな陽君で止まっちゃってるの。
だから・・・ママは、数十年経ったあなたに、聞きたいの・・・・・・・・・・・・・。

岬がひたすらに泣いて、泣いて、泣いて・・・繰り返し陽一に質問をした。

―背は、今どれくらいなの?ちゃんとご飯食べてる?
―ちゃんと、小学校は卒業した?中学校は?高校まで行ってる?大学生なの?もう働いてるの?
―お友達はたくさん出来た?部活動は何をやってるの?
―好きな人は出来たの・・・?陽君はきっと、かっこいいから・・・・・・寄ってくる女の子も、たくさんいるよね?
―パパに迷惑かけてない・・・?ママがいなくて、寂しく・・・・・・・・・ない?


「寂しいよぉ・・・・・・・・・ママぁぁ・・・・・・・・・・・・・」
最後の問いかけにだけ、陽一は「寂しい」と、確かに、返事をした。
その泣きじゃくる姿は、本当に昔から変わらない、小さな陽一だった。
それを見ていた理奈も、自然と今までの震えが止まっていた。


―本当はね、ママは・・・・・・・・ずっとあなたの成長を、みていたかった・・・・。
きっとママが嫌だって思うときもあったんだろうなぁ・・・もう死んじゃう今では、そんな陽君もいとおしいです・・・。
でもね・・・・・・陽君の隣には、もう、ママじゃない、違う人が、いるのよね?

陽一は黙って、ゆっくりとこちらを向いた。
涙を溜めたその幼い瞳で、理奈のほうを一心に向いていた。

―今だって、陽君のためにきっと・・・このビデオを見せてくれているんだよね?
もしかしたら、このビデオを、陽君は一生見ることがないのかもしれない・・・。
それがとても良いことかもしれないし、悪いことかもしれない。とても不安です。
それでも、新しいママが出来たあなたと、蔭由、そして新しいママに、伝えたいことが在ります。

それから俺は、岬がどれほどのことを抱えていたか、知ることになる。

―まず・・・新しいママ、あなたは間宮理奈さんですね?

「えっ・・・・・・・どうし、て?」
俺たちは耳を疑った。
これは、ビデオだろ・・・・・・?
どうして十数年前の岬が、俺と理奈が一緒に居ることを知っているんだ・・・!?

―蔭由、あなたが私を置いて、間宮さんと一緒に居たところを、見ていました。
最初から全部知っていました。あなたが私に早く死んで欲しいと思っていること。
蔭由は離婚とかそういうこと、言い出しずらいもんね・・・世間体もあったし。
でもね?私はあなたに苛立ちとかそういう感情は、感じなかったの。
それよりも、私が捨てられちゃうってことに、とても恐怖していた。
本当に怖かった・・・私が一人身になっちゃうこと、蔭由が離れて行っちゃうこと。
だから・・・私は今まで黙っていたことがあります。
もし、あなたが本当に私を愛して、心配してくれていたなら、共に病気と戦ってくれることを決意してくれていたら・・・この秘密は枷に成り得なかったでしょう。
あなたと私を繋ぎ止めておくための種。それを今明かします・・・。
















































―私は、エイズに感染しています。
























いったん呼吸置いて、岬はこう告げた。
一瞬俺は、誰のことを言っているのか、分からなかった。
それが次第に現実との間で像を結び、重なった時、理奈は絶句した。
顔が青ざめ、先程まで止まっていた震えが、再発する。
俺は突然のひどい吐き気と頭痛に襲われた。


―エイズは両親間での遺伝感染だったので、私は生まれた時からエイズでした。
でも、それを蔭由に隠して、結婚しました。・・・黙っていてごめんなさい。
私だって、幸せになりたかった・・・!きっと病気だって、蔭由と乗り越えられるって・・・信じてた。

入院が決まったとき、どんな病気なのか、どうして私に聞いてきてくれなかったの?
それが、あなたの私への答えだと、思いました。
だから私は、あなたに復讐することを決めました・・・この命を賭けて。

あの夜、私はあなたと結ばれました。
エイズを、あなたの体に産みつける為に。
ただ一つだけ心配なのは・・・生まれてくる陽一が、エイズに感染しないかどうかということです。
私はまだ、確かめていません。あなたが今度、確かめてきてください。
あなたが病気に感染したことは、私が確認しました。
私の入院のとき、あなたも血液検査を受けたのは、輸血のための血液型確認ではなかったのですよ。

―あなたが病気になったら、間宮さんとは決して結ばれない。
仮に結ばれたとしても、間宮さんはきっとすぐに死んでしまう。
いつ死ぬかなんて、私には分かりません。
でも、きっとすぐ死んでしまうでしょう。
これが・・・・・・、私の復讐です。


今は亡き、陽一のたった一人の母、そして理奈が決して越えることの出来なかった、陽一の母。
それが今、確かに目の前に居る。


―陽一、私は・・・あなたを愛しています。
だから、私はあなたがしたいように、生きて欲しいです。
でも・・・どうか、ママを思うなら・・・新しいママと、新しい生活をしてください。
それが、ママが陽一に望む最期のお願いです。
陽一がいい子にしてたら・・・きっとまた、会えるから。
一緒に、ずっと、ずっと・・・暮らして欲しいの。




これは、私と息子に託された、妻の最期の願い。

本当に、最期だった。






私と理奈と陽一は、三人で暮らすようになった。
ご飯も一緒に食べ、どこかへ出かけるのも三人一緒。
三人が三人とも笑顔で写真に写る。
それは・・・本当の家族のようだった。

そして私は、間もなくして理奈と結ばれた。
陽一は何も言わなかった。ただ無関心と言わんばかりに。
陽一のエイズ検査も行われたが、幸いなことに病気は発症していなかったようだ。
しかし、俺を一身に受けた理奈に、エイズ菌が発見されたのは、その数日後だった。

本当に、それからは早かった。
理奈は岬の言ったとおり、発症後数年足らずで息を引き取った。
まるで岬が彼女をあの世へと連れて行ってしまったかの様に。
結局、理奈が俺との間に子を授かることはなかった。
もしかしたら授かっていた子が、男の子だったのか女の子だったのか、二人で話すことも、一度もなかった。
最期の理奈の顔は、本当に幸せそうで、でも、それでも少し、悲しそうだった。
陽一は、彼女の死体を目の前にして、一筋だけ、涙を零した。
それが理奈を想ってのものなのか、それとも岬の死を思い出してのことなのかは、今でも分からない。

担当医師は、息子を連れて病室を出て行った。
私と理奈を二人きりにするためだ。
私は冷たくなった理奈と二人きりになって、彼女を横目に・・・・・・・・泣いた。
それは・・・・・・・私は、彼女の死を、誰よりも悲しんでいたから。
俺は理奈に、精一杯の幸福を与えることが出来ただろうか?
彼女の人生は、最期まで、彼女の考える幸せに近いものだっただろうか?
それだけを聞きたくて、俺は二度と起きることのない、冷たい彼女に口付けをした。
眠り姫が甘いキスで起きることを夢見て。
せめて、この時だけは、眠り姫と過ごすこの神聖な時間だけは、彼女の顔を思い出させてくれるな。

私と陽一に、たった一つの願いを残した、パラノイアよ。



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【2011/08/06 21:46】 | 小説
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