鍵っ子もいろいろと思うことがあるんです
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「終わりの惑星のLoveSong」考察
No.11「Last Smile」



「終わりの惑星のLoveSong」であることを念頭に入れる

それではNo.10「火吹き山の魔法使い」に引き続きNo.11「Last Smile」について考えていきます。個々の曲に強い完結性があることはこれまで何度も申し上げておりますが、やはり「終わりの惑星のLoveSong」の大きな枠組みの一つであることを念頭に入れておくことは大切です。歌詞に違和感を覚える事が多々ありますがそれはこの「終わりの惑星」における独特の世界観故でしょう。それらについてまずは考えていきましょう。歌詞を挙げて説明します。



昔は熱意のある研究者で
子供たちのため世界を治そうとした



まずは根幹となるこの歌詞です。登場する少女は昔熱意ある研究者でした。そして世界の子供たちのために「世界」を治そうとするんです。この歌詞に違和感を感じはしなかったでしょうか。「世界」を治すというのはどういうことなのでしょう。そして少し遡ったところでもう一つ確認します。



間には透明な壁
悪い菌に満ちてる
誰とも触れあうことできない



少女は「世界」を治すための研究を熱心に行った結果、自らの研究の途中で「悪い菌」に犯され誰とも触れあうことができなくなった、と考えるのが妥当ではないでしょうか。では彼女が命を削ってまでしたその研究内容は何だったのか。それは恐らくこの物語の舞台である「終わりの惑星」なのではないでしょうか。つまり「終わりの惑星」は人々の研究対象となり人々の周知の惑星であったことが分かります。そして同時に「人間が住むことの出来ない腐敗した惑星」こそが「終わりの惑星」であることが分かります。自分はこの「Last Smile」を聴いてRewrite作品における此花ルチアを連想しました。彼女は自らが「地球の終わり」を迎えた後の終末世代と成る偉大な役割を得たのと同時に現代において人間として生きる資格を失いました。その「腐敗した地球」こそが「終わりの惑星」ではないかと考えます。

しかしながら恐らくこの「悪い菌」が地球を腐敗へと導いた直接的な原因ではないと思います。地球はこれからも永遠に今の状態保っていられるわけでは決してありません。遠くない未来に人類、広く言えば地球上に生息する全生物に絶滅という「終わり」がやってくるのでしょう。 「悪い菌」はその「終わり」の一過程に過ぎません。悪役と呼ばれる人類の誰かがまき散らしたウィルスでも、世界の破滅へと導く悪魔が作り出したものでもないのでしょう。何故ならこの物語において「絶対悪」は存在しないからです。 「Killer Song」における真実を視る青年を脅した徒党、「Flower Garden」における娼婦の少女を犯した野蛮な男達、「無敵のSoldier」における無敵の少女が生業とした悪党、「Executionerの恋」における見せしめとなった少女、「とある海賊王の気まぐれ」における海賊団とその一味、私達はこれまで所謂世界における「悪」の存在を「終わりの惑星」において様々な楽曲をタイムリープすることで垣間見ることができました。そして同時に、その誰しもが一体何故そのような「悪」へと向かったのか考えたことはあるでしょうか。この地球が「終わり」へと向かったのは何故なのか。それはほかの誰でもなく人間の数々の愚行の連鎖が呼んだものではないのでしょうか。人間がこの地球に生命として誕生していなければ、地球は本当に最初の美しい姿を維持することができた一つの惑星という生体だったのです。その美しさを、紛れもない人類が醜い姿へと変えてしまいました。そして他の楽曲における「悪」は惑星が終わりへと向かわなければ存在しなかったものばかりでしょう。どの時代においても「終わりの世界から」における桜散る現代のような平穏があったのでしょう。その未来を人類は自らの手で壊してしまいました。先進した機械や発達した科学でもって、自らの利便性の高い生活と引き換えに。つまり、惑星が終わりへと向かったのも、世界が荒廃し「悪」と呼ばれる存在が徒党を組み自らを苦しめたのもすべて、人類の自業自得というわけです。ですからこの世に身勝手な「絶対悪」は存在しないと言い切れるんです。被害者も加害者も、美しい地球を破壊した人類そのものなのですから。


無力な「僕」が感じる厚い「透明な壁」と薄い「ガラス」

物語は「僕」の視点で始まり、そして終わります。青年は「悪い菌」に犯されて誰とも触れる事の出来ない少女に対して必死な慰めを投げかけます。今まで子供たちを想って生涯を投じた研究が叶わない少女に対して。この時の青年は少女に言葉を掛けることに一種の怯えを感じていると自分は感じました。夢を失った少女が自分の何気ない同情で苦しめてしまうのではないか、気休めだけの理解を含めない慰めに憤慨させてしまうのではないか、そして嫌われてしまうのではないかと。歌詞の冒頭を確認しましょう。



きみを見てた
じっと見てた
そのきみに触れたい



この一言が青年の少女に対する前述の怯えを象徴しています。言葉を掛けてあげられない青年はじっと見つめているだけ。ただひたすらに。見つめるだけの彼は少女に投げかける言葉すら見つけることはできませんでした。青年に少女が研究の夢を失った悲しみをすべて理解することは絶対にできないでしょう。青年は少女と共に研究していたわけではなく、少女の研究内容を「何もわからない」し聞いても「何もしてやれない」んですから。



でも僕の頭は痛くなるばかりで
何もわからない
何もしてやれない



青年は少女の隣にいるようで、ずっと遠くにいるんです。普通の青年と世界を背負う偉大な研究者では社会で釣り合った関係とは言えません。例えそうでなくとも、少なくともこの少年はそう思ったのでしょう。だからこそ「透明の壁」と表現されているんです。この青年と少女とを隔てる壁は二つ存在します。「透明な壁」と「ガラス」です。この二つは我々が見ても透明なガラスにしか見えないでしょう。しかし青年の目には確かにこの二つはまったく違うものに見えるんです。序盤に登場するこの「透明な壁」は少女に言葉を掛ける事に怯えを感じ、好きだった少女の研究内容ですらまともに理解してあげられない無力な自分に慨嘆し、ガラス越しに隣に座り世界中で一番彼女の近くにいるはずの自分が実は少女からずっとずっと遠い存在だったことを実感し、寂しく思いそして悲しんでいる、そんな彼のこの気持ちを表現していると私は考えました。



間には透明な壁



でも、少女だってそんな彼の必死な慰めが伝わっていないわけではありませんでした。彼らは互いを愛していたんですから。だからこそ少女は彼に言葉を投げかけるんです。ガラス越しに「ありがとう」と。精一杯の慰めに対する精一杯の「ありがとう」を君に。



もう自分にできることはないとよくきみは泣く

でもありがとうときみは
言ってくれたんだ笑顔で
もう難しい話はなしで話そう



少女はずっと泣いていました。自らが生涯を投じた研究を断念しなくてはならないことを悔やんで。何より世界を治し子供たちを救うんだと決意した自分の信念をねじ曲げられてしまったことを悲しんで。きっとそんな少女に失望した様々な人が彼女の元を去って行ってしまったのでしょう。それでも、青年だけは少女の元へと残ってくれました。無力な自分を自覚しながらもたくさんの慰めをくれました。だからこそ、すべてを失ってしまったからこそ、たった一つの宝物だった青年を大切にしたいんだと心から想うんです。彼らの本当のLoveSongは、この「ありがとう」の一言から始まりました。



それからのふたりは
ひたすら他愛ない話をし続けた
ガラス越しに



それからの彼らは本当に他愛のない関係を築き始めます。少女は偉大な研究者という役柄を捨て一人の普通の少女として、普通の青年と他愛ない恋を始めました。このとき青年と少女の間にあった大きな壁は消えました。あるのはたった一枚のガラスだけ。でも、これまでを一緒に生きてきた彼らにこれまで感じていた「透明な壁」に比べれば薄いガラスなどあってないようなものなのでしょう。遠くにいる彼女をじっと見つめているだけでなく、彼女の隣に立って共に歩き出せるようになったんですから。この触れあえた瞬間こそが彼らの他愛ない恋の始まりだったんです。そしてそれはほんのわずかな遺された彼女の寿命と共に終わってしまいます。それでもきっと最後の瞬間は笑顔で青年の元に。青年だって、ぐしゃぐしゃでありがらも綺麗な笑顔でさよならを告げたのではないかと感じます。そしてこんな他愛ない恋を取り柄のない自分くれて「ありがとう」と。



触れあうことなくても確かに触れあってたよ
笑って過ごしたきみのさいごまで



かの偉人を連想させる彼女の死と青年のその後

彼女の自らの研究対象によって死んでしまうことは、とある偉人の生涯をどことなく連想させます。それは野口英世さんです。子供たちのために投じている点も合致しています。もちろん彼女が研究していたのは恐らく「終わりの惑星」についてであって黄熱病ではありませんが、もしこの野英世氏の人生の踏襲であったとしたなら、彼女の死後、青年はどうしたのでしょう。
英世氏の死後妻のメリーは彼が遺した年金でひっそり暮らして死にました。そして英世の故郷の人たちの依頼に応じて遺品をすべて記念館へと寄贈し、英世の遺志を継いで、研究成果を伝え続け、ウッドローン墓地で英世と共に今も眠っています。
青年は少女の研究を聞いても「何もわからない」ままで「何もしてやれない」と嘆いてはいますが、「代わりに何かできないか」と少女の研究を最後まで知ろうとしました。何なのかもわからない複雑な分子構図を頭に描きながら。



暇見つけ研究内容聞いてみた
代わりに何かできないかと思って



そしてその研究を知ろうと努力する姿勢が、恋する相手のことをもっと知ろうと、趣味や理想に合わせようとするどこかの世界の少女の姿を連想させますね。研究内容を知ろうとした青年のその姿も同様に一途に少女に恋をする普通の男の子に見えました。きっと少女も、そんな青年の姿に恋をしていたんだと思います。



小さな時からなんでも知っていて
きみの趣味 その理想に合わせようとした



少女はよく泣いていた、ときっと青年も少女のことを誰かに聞かれたらこう答えるでしょう。…いやちょっと違いますね。「良く泣いてたけど、よく笑ってた。他愛ない話で」といったところでしょうか。「もう自分にできることはない」んだと少女は言います。確かに自ら研究を断念することになってしまい、為す術もなくなってしまったのかもしれません。でも青年には、それを後世にずっと伝えてあげる事が出来るんです。少女が子供たちのためにと胸にずっと抱いてきた信念を、成し遂げようと生涯を投じた研究の内容を、そして多大の失望の中懸命な笑顔で生き続けたことを。かの英世氏の妻メリーを踏襲し、きっと青年も少女のために何かを遺そうとしたでしょう。それが他愛ない恋をくれた少女の最期の笑顔に応える何にも代え難い恩返しなのですから。その青年の努力が実を結んだかどうかは私達には分かりません。私達だって少女に対する青年と同様、彼らの恋路に「何もしてやれない」んですから。しかしだとしたら…このLoveSongは彼らの恋が、一人の偉大な研究者を愛した無力な青年が、そして一人の死にゆく少女が最期に遺した笑顔がすべて繋がり、もしかしたら涙に暮れていたかもしれない子供たちの最期を笑顔へと変えることができた温かな物語なのかもしれません。それがかつて熱心な研究者だった少女の終わりゆく惑星で持ったただ一つの「夢」でした。



昔は熱意のある研究者で
子供たちのため
世界を治そうとした



表題「Last Smile」を最後に考える

以上で「Last Smile」の考察は終了です。私的にこの「Last Smile」「Heroの条件」そして「この惑星のBirthDaySong」が「終わりの惑星のLovesong」における主題を物語っている楽曲であると考えています。個々10曲に加え大きな軸はこれら3曲、特に「この惑星のLoveSong」はその主題を直接的に訴えかけているように感じます。仄めかしつつ後の主題提示への伏線がこの「Last Smile」の位置づけであると言えましょう。これまでのチューンポップとは違い狙ったような感動路線な歌詞とメロディーはその確かな涙を誘いました。そして考察記事の表題ですが、彼らの恋路には無力な青年が慰めかける勇気、研究者として始まりそしてその生涯を終えた少女の努力、そして相対する彼らが互いの慰めとその努力の証を理解しようとしたその賢明な姿勢が成したものであると言えましょう。ですからその意味を汲み取り『かけがえのない努力と懸命な理解の末に得た「Last Smile」』としました。次回は「Heroの条件」です。ご意見・ご感想はお気軽にどうぞ。
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【2013/02/22 04:07】 | 終わりの惑星のLoveSong
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クラキ
初めまして、以前から読ませていただいてました。
ここ数ヶ月更新が途絶えていたので、何かあったのかな?なんて思ったりしましたが、考察を再開されたようで、よかったです。

個人的には、13曲の中でも、この曲と「ふたりだけのArk」が特に気に入っていたので、考察を読むことができて、嬉しいです。

残りの二曲も考察楽しみにしています。


せれーで
クラキさんへ

どうも初めまして!!半年ほどの間がありながらコメント頂けて、しかも以前から読んでくださっていたみたいで非常に嬉しいです。特に何かあったわけではなかったんですが、自然とモチベが風化してしまった感じだったんで。続きは?というコメント感想頂きまして再開した次第です!!

「ふたりだけのArk」気に入って頂けてすごく嬉しいです。描いた自分が言うのもなんですが「ふたりだけのArk」と「Flower Garden」は考察というより自分の感情をぶつけまくった感が否めなくて、逆にそれが気に入ってたりします。残り2曲も近々書き終えるつもりですので、もう少しだけお付き合いくださると幸いです。

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火吹き山の魔法使い


「終わりの惑星のLoveSong」考察
No.10「火吹き山の魔法使い」



ファンタジーテイスト溢れる物語の一説

どうもお久しぶりです。考察を終えるべく戻ってまいりました。それではNo.9「雪の降らない星」に引き続きNo.10「火吹き山の魔法使い」について考えていきたいと思います。この物語は非常にファンタジーテイストに溢れていますがその1から10がすべてファンタジーテイストというわけではありません。この「火吹き山の魔法使い」が住む世界は現実と非現実の狭間のように感じています。それは同様にファンタジー要素を含んだ「終わりの世界から」「Killer Song」でも同じことが言えますね。あくまで日常に隠れた非日常を描いているに過ぎません。



追いつけないだから能力使う過去へとリープ

きみは眼が見えない代わり真実だけが視える



惑星が終わりを迎えるその時、人類が進む廃退と衰退、そして先進する科学の一途を辿った「ふたりだけのArk」「Flower Garden」「凍る夢」をあくまで「終わりの惑星」の中での現実とするなら「終わりの世界から」における少女のタイムリープ能力や「Killer Song」における盲目の王の真実を視る目、そして今回の「火吹き山の魔法使い」における魔法の石は非現実。それらは私たちが気付かない中で交わり合い、そして溶け込んでいることを示唆しています。すべてが推理小説のように型にはまった解があるわけではありません。つじつまの合う説明ができるわけではありません。それは我々が個々に持つ心に対する説明と同様なことが言えるのではないでしょうか。現実的「終わりの惑星」らしい物語と同様にファンタジーな物語を交錯させることで彼の意図が如実に浮き彫りになります。物語の少年は、そんな無限の可能性を信じて大好きな少女と共に魔法の石を探す旅に出かけることを提案します。



ある日きみは会うなり こう言うんだ
手に持ってるだけで 魔法を使うことができる 石があるらしい
「是非探すのを手伝ってくれ」と



彼が「夢」として描いた魔法使いになる一歩として、膨大に得た書物の知識にその一つが記されていました。魔法の石は存在する。それは持っているだけで魔法が使えるようになる。場所は活火山の深く。そこで眠れる竜が守っているのだと。彼らはそんなお伽噺に描かれたような「夢」を追い求めその一歩を踏み出しました。


現実と非現実の狭間と彼らの旅路の理想と現実

この「火吹き山の魔法使い」における物語が現実と非現実の狭間を描いた物語だと前述しましたが、それは彼らの旅路にも表現があります。子供ながらに彼らは懸命に考え旅の支度を始めます。活火山へと登るのなら登山の準備が必要だと、竜が石を守るのなら立ち向かう装備が必要だと。可笑しな探検隊を気取った彼らは意気揚々と笑顔で楽しい旅の始まりを迎えました。しかしながらその旅路は想像を絶する厳しさを持ち得ました。山道は険しく、彼らが準備した荷物が多すぎたこと、そして自らがまだ幼い少年少女であったことを忘れ、気取ったその蛮勇をほんの少し悔み始めたのではないでしょうか。ここがまさしく「理想」と「現実」の狭間です。



登山する支度して 戦う準備もして
きみのヘルメット姿には 笑いが止まんない
なんて滑稽な冒険者一行だ


山道は険しすぎて そもそも荷物が多すぎる
でも本当に竜がいるなら これぐらいは必要



彼らは大人しく村で魔法使いになることを「夢」のまま終わらせることができたのなら、この過酷な旅をすぐにでも終えることはできたでしょう。しかしそれほどに少年の決意は弱いものではありませんでした。その意志の固さは実に「Flower Garden」における造花を作り続ける少年と眠り続ける娼婦が明日を生きる糧とした「夢」への希望そのものではないでしょうか。彼らは過酷なこの現実から決して目を背けることなく、立ち向かう勇気をその生きて輝く花々を見る「夢」から得ることができました。お伽噺を鵜呑みにする彼らを決して笑うことなどできません。この少年もまた、魔法の石という「夢」を追い求めることで「強さ」を得ようとしていたのですから。



いつかきみは話した
本物の花を見てみたいと珍しく
でもどこの地上にだって
そんなものはない 夢のようなもの



確かに存在する恋慕と使命感の食い違い

険しい山道を登り、疲れ果てた彼らは休息を取ります。そこで息を整える少年に付き添う少女はその純粋な疑問を少年にぶつけました。「どうして魔法なんて 使いたいのか」と。これまで古今東西からあらゆる怪しげな書物を集めそして読み耽り、少年は魔法使いになることを強く夢見ていたことを少女は知っていました。だからこそ疑問に思うのでしょう。そこまで魔法使いに固執する所以は何なのかと。すると少年はその小さな頬を紅く染めてこう答えます。「この手である人を守りたい」と。少年が魔法使いになりたいと願うその本質はある人をこの手で守る強さを得ることでした。非力な自分でも一人の大切な人を守る術と力が欲しいと、そう願ったのです。



どうして魔法なんて 使いたいのかと訊くと
きみはそっぽを向いて 「この手である人を守りたい」



その後彼らは活火山の火口へ。そこで見たのは書物で知り得た通り、竜でした。非現実が現実へと近づいた瞬間でした。逃げ切れないことを悟った少年は松明を掲げ自ら囮になることを選びます。そして言葉を交わせない距離になった少年は少女へと目でこう告げたのでしょう。「石を探せ」と。この合図が彼らの最期の会話。幼い彼らにとってこのふとした拍子に交わした目配せが最期になることは予想しえなかったでしょう。少なくともこの後幼いままの彼らが村へと帰り、そして石を得て笑いあう日々は失われてしまいました。何故なら少年は少女が石を見つけたときには既に、幼いその華奢な体は竜の鋭い牙に挟まれ、彼はその意識を失っていたのですから。



口にはきみが くわえられてた



少女は竜を焼き払った安堵も束の間、少年の安否に身が震えたことでしょう。しかし少女は実に懸命な判断を下しました。自ら石を手に一端の魔法使いとして再び願いを石へと込めます。そしてもう言葉を交わすことのできない少年を助け出す決意を胸の内へと秘めました。この時既に少女は魔法使いとしての道を選んでいたのでしょうか。



再び念じた きみよダイヤモンドになれ マグマにも溶けない
いつか必ずきみを救い出す もっと魔法を極めて



ここまでで思い出してほしいのがこの「火吹き山の魔法使い」も「終わりの惑星のLove Song」の一つであるということ。少年が魔法使いになりたいと強く願ったのは紛れもなくその大切な、旅路を共にした少女を守る力を得ることでした。そしてその力を欲する根底にある彼の感情は紛れもなく恋慕なのだと思いました。ではこの少女は一体なぜ少年を助けようとするのでしょう。私はこの曲を最後まで聴いたとき、少年が少女を女性として愛する気持ちは伝わりましたが、少女が少年を男性として愛する恋慕の感情を垣間見ることはできませんでした。彼ら二人が魔法使いとして生きていくその理由には食い違いがあります。少女は確かに少年に好意を抱いてはいますがそれが恋慕であるかと言われれば疑問符が残ります。この少女が少年を燃えないダイヤモンドから救い出すその理由の根底には少年が自ら身を挺して守ってくれたことによる使命感、義務感、そして罪悪感が大きく占めているのではないでしょうか。「私」を庇ったことで少年は竜の攻撃を一身に受けたのですから。


火吹き山の魔法使い出生の物語

麻枝さんはこの曲を紹介する際にこう言いました。「この曲は火吹き山の魔法使いが如何にして生まれたのかを記した」と。確かに歌詞に描かれた物語は少女が魔法使いとして生きていくそれまでの出生が描かれています。この事実は物語の今後を考えるうえで大きく示唆を残しました。まずこの事実は少女が、少年がかつて抱いた「夢」を引き継いだことになります。少年がなりたいと願った魔法使いに、この少女は今なっているわけです。少年はダイヤモンドの中で言葉を発することも感情をあらわにすることも出来ませんが、その結晶の中で一体何を思ったのでしょう。「夢」を託したその様は「無敵のSoldier」における無敵の称号をモノにした一人の騎士が幼い悪党の少女に旅路で剣術を教え鍛え、そして最期にその個々の「正義」を見せつける形で少女へ刃を向けたそれと非常に類似しているのではないでしょうか。その時私は、無敵の騎士を少女の「父親像」と捉え、かつて失った娘には見れなかった成長を垣間見れ喜びを噛み締めているのではないかと捉えたことを覚えているでしょうか。「夢」は一人一人が別々に持つものだけれども、それを他人に、愛する人に託す形で成就することだってできるんだと、私たちは既に「無敵のSoldier」で知っていたのではないでしょうか。ですからこの「火吹き山の魔法使い」における少年も無敵の騎士が幼い悪党に自らの正義をその身を挺して教えたのと同様に、自らが願った強さを、守りたいと願った愛する少女が自ら持つことで強く生き続けてもらうことを願ったのではないでしょうか。この時の想いをきっと魔法を極め少年が願った「魔法使い」として少女が強くなった時、彼女は知るのではないでしょうか。これが彼女の魔法使いとして生きていく始まりでもあり、同時に少年との恋路との始まりだったと私は考えました。かつての幼い少女では知り得なかったこの少年への愛おしいと想う気持ち。少年を危機にさらしたことに対する罪悪感が、私を守る強さを得る一心でこの旅を決意してくれたことを知り、やがてこの感情がマグマのように熱い恋へと発展するのは、そう不自然でもないではないでしょうか。


表題「火吹き山の魔法使い」を最後に考える

以上で「火吹き山の魔法使い」の考察は終了です。出生を描いた物語は同時に恋路の始まりをも描いた物語だったのではないかという私の見解ですがいかがでしょうか。久しぶりに書いてみましたが書き始めるとやはり楽しいものですね。考察のところどころに過去作であった曲の想いを重ね、私的なこの「終わりの惑星のLove Song」の舞台も背景もばらばらな曲達がアルバムとして一枚に収まっている所以とクロスオーバーをきっともう感じてくださっている方も多くいらっしゃるかと思います。しかしそれは「Heroの条件」ですべての曲について触れ終えたときに再び書くことにいたしましょう。表題はこの魔法使いの出生が同時に恋の出生であったことを裏付け『「火吹き山の魔法使い」が極めた末に至った恋路の始まり』としました。次回は「Last Smile」です。ご意見・ご感想はお気軽にどうぞ。

【2013/02/18 07:03】 | 終わりの惑星のLoveSong
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