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鍵っ子もいろいろと思うことがあるんです
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ここからの記事は前回の小説「たとえこのすべてが偽りでも」についての内容を含みます。
読みえてくださった方は追記からご覧ください。


「たとえこのすべてが偽りでも」を最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
とても長い時間かかってしまいましたが、前作「Jump↑Girl.」に続いて一つ書き切る事が出来て良かったです。
前々からの予告の通り、前作とは打って変わった、とても濃いお話だったと思います。
実は前作の倍以上の文章量でお送りしています。
さて、夢落ちで終わることもなく、ぶっちゃけ後味があまりよろしくない最後ではなかったでしょうか?
皆様方、それこそが今回の狙いです。
死んでしまった岬の愛と、今を生きる理奈の愛・・・それに優劣をつけるのは、読者様次第です。
それに悩むからこそ、著者の僕が結論を出さないからこそ、後味が悪いと感じるのです。
これをスッキリと読みきることが出来たあなたは、きっとどちらの愛が上か、答えが出ているのでしょう。

この物語の軸には「家族愛」と「異性愛」の二つがあります。
岬から、理奈から、そして蔭由から陽一に込められた「家族愛」
岬から、そして理奈から蔭由へと込められた「異性愛」
この二つが複雑に交じり合うことで、それぞれが込めた愛情を陽一は、蔭由は返してくれていたのか・・・。
それがあやふやとしてしまいますが、読者様に考えてもらう物語を作るうえでは大切だと感じました。
悩んでくださったなら、それほど嬉しい喜びはありません。

また、伏線の回収も大事にしました。
病気について詳細を求めなかった蔭由を中心に、岬のビデオレターの数、陽一の態度の変容。
伏線を伏線と呼べないままに進めてしまえるくらいに浅いものでしたが。
それについてのもやもやは発生しないよう善処したつもりです。あくまでもやもやだったのは「愛の優劣」だけ。

会話表現の拙さは自分でも一番反省すべきところです。
ですから自分はギャグ・・・というか日常会話を不自然なく書き切ることが難しいです。
陽一が食事の間に怒鳴り散らかすシーン、そしてビデオレターで語られる岬の言葉。
どちらも物語上とても重要な場面でしたが、拙さが目立ってしまっているかもしれないです。
次回からの課題はこれになるかな、って思います。

お気づきになった方がいらっしゃるかもしれませんが・・・蔭由の一人称が「私」→「俺」→「私」と変化しています。
これは誤字では決してなく、一種の演出です。
再婚を視野に入れる蔭由はより陰湿に、岬や理奈の愛を精一杯に受けた蔭由はより穏健に描かれています。
そのままでも流せちゃいそうな演出ではありますが、蔭由の二面性はこの物語上では大切なものだったと考えています。

この物語は、蔭由の家に岬の両親から手渡されるビデオテープが登場することで初めて進行します。
確かに月日が流れてはいますが、蔭由を含む3人の関係はまったく変化がないままです。
それは一体何故か・・・陽一は母である岬に一種の忠誠にも似た愛を抱いているからです。
母の発する最後の言葉を胸に、再び会えることを信じて、彼女に洗脳を受けたかのように振舞うのです。
それは岬の意図的な愛であったのか、否か・・・その捉え方だけでも、岬の人物像はすぐにぐらついてしまう。
岬は物語中では、実際登場してくることは一度もありませんよね。
既に始まった当初から死んでしまっているのですから。
ですから、彼女の人物像を最後まで知ることは出来ません。

理奈の生き方は、ある意味岬よりもひどいものだったのかもしれません。
別れた夫とは別に現れた優しい蔭由との生活には、結局たどり着くことは出来なかったのですから。
彼女と蔭由の生活の中には、必ずと言っていいほど岬に対する嫉妬と劣等感、そして罪悪感が蠢きます。
彼女の不幸こそが、この物語の大きな軸の一つです。
結局最期を迎えますが・・・さて、ここで一つ考えて欲しいことがあります。
彼女人生で、一体何を残せたというのでしょうか・・・?
岬に代わって陽一を育てた?・・・いいえ。死んだ岬はビデオで生き続け最後まで陽一は理奈を母親として認めませんでした。
蔭由に愛を与えてあげられた?・・・いいえ。彼女は結局最期まで蔭由には悲しみしか与えることは出来ていません。
そして、自分がこの物語でやってしまった彼女への「嫌がらせ」は、決して「新しい家族」を迎えさせなかったことです。
彼女が生きて蔭由を愛した意味は、あるのでしょうか?
愛に理由はいらない、と一言で片付けられたなら、それは理奈にとっての唯一の慰めとなるでしょう。

物語の最後に載せた「パラノイア」について少し。
もちろんこれは岬への比喩と捉えていただいて結構です。
「パラノイア」とはいわゆる精神病の名称ですが、あの有名な森鴎外氏著「舞姫」からの引用です。
この物語を書き始める頃からこの引用を使おうと決めていました。
当初はタイトルに入れて「パラノイア姫」なんてタイトルも考えてましたが・・・
直球で内容バレしちゃいそうな感じだったので没にしました。


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「たとえこのすべてが偽りでも」を最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
とても長い時間かかってしまいましたが、前作「Jump↑Girl.」に続いて一つ書き切る事が出来て良かったです。
前々からの予告の通り、前作とは打って変わった、とても濃いお話だったと思います。
実は前作の倍以上の文章量でお送りしています。
さて、夢落ちで終わることもなく、ぶっちゃけ後味があまりよろしくない最後ではなかったでしょうか?
皆様方、それこそが今回の狙いです。
死んでしまった岬の愛と、今を生きる理奈の愛・・・それに優劣をつけるのは、読者様次第です。
それに悩むからこそ、著者の僕が結論を出さないからこそ、後味が悪いと感じるのです。
これをスッキリと読みきることが出来たあなたは、きっとどちらの愛が上か、答えが出ているのでしょう。

この物語の軸には「家族愛」と「異性愛」の二つがあります。
岬から、理奈から、そして蔭由から陽一に込められた「家族愛」
岬から、そして理奈から蔭由へと込められた「異性愛」
この二つが複雑に交じり合うことで、それぞれが込めた愛情を陽一は、蔭由は返してくれていたのか・・・。
それがあやふやとしてしまいますが、読者様に考えてもらう物語を作るうえでは大切だと感じました。
悩んでくださったなら、それほど嬉しい喜びはありません。

また、伏線の回収も大事にしました。
病気について詳細を求めなかった蔭由を中心に、岬のビデオレターの数、陽一の態度の変容。
伏線を伏線と呼べないままに進めてしまえるくらいに浅いものでしたが。
それについてのもやもやは発生しないよう善処したつもりです。あくまでもやもやだったのは「愛の優劣」だけ。

会話表現の拙さは自分でも一番反省すべきところです。
ですから自分はギャグ・・・というか日常会話を不自然なく書き切ることが難しいです。
陽一が食事の間に怒鳴り散らかすシーン、そしてビデオレターで語られる岬の言葉。
どちらも物語上とても重要な場面でしたが、拙さが目立ってしまっているかもしれないです。
次回からの課題はこれになるかな、って思います。

お気づきになった方がいらっしゃるかもしれませんが・・・蔭由の一人称が「私」→「俺」→「私」と変化しています。
これは誤字では決してなく、一種の演出です。
再婚を視野に入れる蔭由はより陰湿に、岬や理奈の愛を精一杯に受けた蔭由はより穏健に描かれています。
そのままでも流せちゃいそうな演出ではありますが、蔭由の二面性はこの物語上では大切なものだったと考えています。

この物語は、蔭由の家に岬の両親から手渡されるビデオテープが登場することで初めて進行します。
確かに月日が流れてはいますが、蔭由を含む3人の関係はまったく変化がないままです。
それは一体何故か・・・陽一は母である岬に一種の忠誠にも似た愛を抱いているからです。
母の発する最後の言葉を胸に、再び会えることを信じて、彼女に洗脳を受けたかのように振舞うのです。
それは岬の意図的な愛であったのか、否か・・・その捉え方だけでも、岬の人物像はすぐにぐらついてしまう。
岬は物語中では、実際登場してくることは一度もありませんよね。
既に始まった当初から死んでしまっているのですから。
ですから、彼女の人物像を最後まで知ることは出来ません。

理奈の生き方は、ある意味岬よりもひどいものだったのかもしれません。
別れた夫とは別に現れた優しい蔭由との生活には、結局たどり着くことは出来なかったのですから。
彼女と蔭由の生活の中には、必ずと言っていいほど岬に対する嫉妬と劣等感、そして罪悪感が蠢きます。
彼女の不幸こそが、この物語の大きな軸の一つです。
結局最期を迎えますが・・・さて、ここで一つ考えて欲しいことがあります。
彼女人生で、一体何を残せたというのでしょうか・・・?
岬に代わって陽一を育てた?・・・いいえ。死んだ岬はビデオで生き続け最後まで陽一は理奈を母親として認めませんでした。
蔭由に愛を与えてあげられた?・・・いいえ。彼女は結局最期まで蔭由には悲しみしか与えることは出来ていません。
そして、自分がこの物語でやってしまった彼女への「嫌がらせ」は、決して「新しい家族」を迎えさせなかったことです。
彼女が生きて蔭由を愛した意味は、あるのでしょうか?
愛に理由はいらない、と一言で片付けられたなら、それは理奈にとっての唯一の慰めとなるでしょう。

物語の最後に載せた「パラノイア」について少し。
もちろんこれは岬への比喩と捉えていただいて結構です。
「パラノイア」とはいわゆる精神病の名称ですが、あの有名な森鴎外氏著「舞姫」からの引用です。
この物語を書き始める頃からこの引用を使おうと決めていました。
当初はタイトルに入れて「パラノイア姫」なんてタイトルも考えてましたが・・・
直球で内容バレしちゃいそうな感じだったので没にしました。

【2011/08/06 22:53】 | 小説
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