鍵っ子もいろいろと思うことがあるんです
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ふたりだけのArk


「終わりの惑星のLoveSong」考察
No.2「ふたりだけのArk」



一人称「ぼく」と二人称「きみ」

それでは「終わりの世界から」に引き続きNo.2「ふたりだけのArk」について考えていきたいと思います。是非「ふたりだけのArk」を聴きながら読み進めてみて下さい。まずは登場人物の確認です。登場するのは自らを「ぼく」と名乗る少女と「きみ」と呼ばれる少年の二人だけ。「あれ?」と思った方はいますか。そうですね女性であるにもかかわらず「ぼく」と自らを称しているのはおかしいのではないか、と思う方もいるかもしれません。この事実は、実は以前放送された殺伐ラジオでも明かされています。しかしこれは麻枝さんの曲、広く言えばどんな曲中でも至極当たり前だとも言えるんですよね。女性シンガーであっても作詞では「ぼく」と表記する人がいない…ということはありませんよね。それと同様です。 確かにこの「終わりの惑星のLoveSong」は強い物語性を持ちますがそれ以前に「楽曲」なんです。楽曲とは確かに大衆の娯楽の一つですが作家が大きなテーマを伝える媒体の一つだと捉えることだって出来ます。
また作詞をしているのは麻枝さんですが、このアルバム(今回では「ふたりだけのArk」)では「ぼく」が「きみ」に宛てたLoveSongとして捉える事が重要です。つまり曲解釈する上ではこの歌詞を書いたのはあくまで「ぼく」なんです。(「ぼく」を代弁する麻枝さんと捉えても良いと思います)この事が「終わりの惑星のLoveSong」が物語性を持つ所以なんです。それを念頭に入れ考察を行います。


「惑星の終わり」を前に人々が求めた救い

今回の「ふたりだけのArk」においても世界の終わりを垣間見る事が出来ます。序盤のフレーズと中盤のフレーズにおいてその終末感は感じる事が出来ますね。



今や世界は呪われたように退廃し生き物たちは滅んでゆく

いろいろ教えるよ 獣の狩り方や 安全な眠り方 そういう旅にしよう



この世界では呪われたように退廃が進み生き物たちは滅びを迎えます。そして彼らがこの世界で生きていくためには「獣の狩り方」や「安全な眠り方」を知る必要があるんです。明らかに我々が暮らす現代では考えられないような生活です。むしろこの生き方は我々の時代を先越した暮らしというよりも原始的に衰退した…と言えるのではないでしょうか。世界の退廃は生物の絶滅と同時に人間の生き方にも顕著に表れています。
そしてそんな終末を迎えようとする世界に生きる二人の若者はある与太話を聞くんですね。この滅びゆく惑星でたった一つの救いの手を見つけます。この終わりを迎える惑星を脱出する術があるのだと。



ある日聞いた話 宇宙へ旅立つための大きな船を造っているらしい
よくある与太話 誰も信じやしない



この「ふたりだけのArk」では住む惑星が滅びへと向かうことを知った人間達がこの惑星を脱出することを考えたわけです。しかし普通の人間が「宇宙へと旅立つ大きな船」の存在を信じるでしょうか。現代では宇宙ロケットが存在しますが終末を迎え、人々の生活が原始的に退化した惑星では造ることも叶わないのではないでしょうか。そんな船が存在することを一途に信じた少年と、その少年にただただ付いていくだけの少女の物語です。
また表題にある「Ark」というのが気になります。これは俗に「ノアの箱舟」と呼ばれるものです。ノアの箱舟はかつて古代に発生した大洪水から多々存在した動物種を乗せ命を救ったと言われている船です。この神話におけるノアの箱舟を今回の「終わりの惑星」における大災害に模した麻枝さんの意向からの「Ark」という表現でしょう。しかしこの惑星を終わりへと導いた直接の原因を描写するフレーズは見当たりません。


旅を通して変わった「ぼく」と変わらない「ぼく」の気持ち

曲中では「ぼく」についての大きな変化が主軸となって描かれています。最初「宇宙へと旅立つ大きな船」の存在を「よくある与太話」と片づけ「彼が探すから私も探す」と船自体を信じていたわけではありません。あくまで「きみ」についていくだけだったんです。そして楽観的で世間知らずな「きみ」にこの終わりを迎える惑星での生き方のいろはを教えようと決意します。彼のこれからを考えた旅にしようと考えていたわけです。旅をするのは一緒でも目的が全く違ったんですね。



よくある与太話 誰も信じやしない でもきみはその船を探そうと言うんだ

でもきみをひとりにしておけないからついていくだけだよ?わかってるかな
ひとりで生きていくことも戦うこともぼくより不器用なきみだから
いろいろ教えるよ 獣の狩り方や 安全な眠り方 そういう旅にしよう



しかしそんな彼女は「きみ」の死を境界線に考え方を変えます。まるで彼の意志を継承するかのように。



旅は続けるよ 世界の果てまで
きみの信じた船を見つけてみせるよ



この滅びゆく惑星での現実を教えることを目的としていたはずの少女は「きみ」の楽観的な生き方から様々なことを学びました。そして彼女の旅の目的は「きみの信じた船を見つける事」へと変化したわけです。過酷な世界での生き方を教えたかった「きみ」はもうこの世にはいません。

しかしこんな彼女の大きな変化の中でも、たったの一度も変化しなかったことがあります。それは「きみ」への愛ですね。この「ふたりだけのArk」は歌詞に表わさなくてもいいほどに彼女が一途であったことを裏付けるのが物語に直接的な描写が皆無であることです。彼女は信じもしない船を彼が探すという理由だけで付いていきました。そして彼の死後彼女は彼の意志を継ぎ与太話な船を探すため世界の果てまでも旅を続ける決意を固めます。世界の果てまで…ですよ?たったひとりでも彼が信じた船だけを探すため、彼が踏み出せなかった一歩を一人で今も踏み出し続けるんです。厳寒の地であっても、たとえ惑星が滅んだとしても、彼らの愛が冷める事は永遠にないでしょう。世界の果てまで彼の信じた船を彼女が探し続ける限り。



凍える厳寒の地
きみはまだ船があると信じて歩き出そうとした
その足はもう前へ出ない



最期までArkを信じた「きみ」の真意

「ふたりだけのArk」においても視点はすべて語り部である「ぼく」のみであって「きみ」が抱く心情については一切触れられてはいません。ではこの旅で最後まで船の存在を信じていた「きみ」の心の内について考えていきたいと思います。まずですね…本当に「きみ」は「宇宙へ旅立つための大きな船」の存在を信じていたのか否かということを論点に考えていきましょう。そうですねいきなり大前提です。結論から言えば「きみ」は船の存在を完全に信じていたわけではないと思います。そう考える根拠は次のフレーズです。



「一番遠い世界の果てにある」
根拠のない自信で答えてみせた
果ては一番上と北を目指した



一番遠いのが世界の果てで、世界の果ては一番上で、一番上なら北だ…というのは直感的過ぎではないでしょうか。さすがに楽観的の度が過ぎているようにも解釈できます。ですがこれはすべて愛する「少女」のための振りだとしたら…どうでしょう。彼にとっては旅の目的が船じゃなくても良かったのではないでしょうか。彼にとっては「目的」を持って旅をすること自体が重要だったのではないか、と考えるわけです。少女が愛する少年に対して生きていくいろはを教えようとしたことと同様に、少年だって愛する少女に生きていく勇気を与えようと考えたんです。自らが絶えてしまったとしても、自らの楽観的な前向きな生き方を彼女に伝えようと。実は以下の2フレーズは対比関係にあるんです。



ひとりで生きていくことも戦うこともぼくより不器用なきみだから
いろいろ教えるよ 獣の狩り方や 安全な眠り方 そういう旅にしよう


本当はぼくのほうがたくさんのことを学んだ旅だったかもしれない
夢を抱く無垢な心 わずかな希望でも信じる思い 折れない強さ



惑星の終わりで生きていくには少なからず置かれた現実に目を向ける事が必要だったはずですから、彼は彼女が思うほどに楽観的で世間知らずではなかったように感じるのです。しかしそれを少女が気付けなかったのも当然です。彼は「楽観的」で「世間知らず」に振る舞ったのですから。現実を直視し正面からぶつかろうとする少女の生き方はとても素晴らしい生き方だとは思います。ですが思い出して下さい。ここは「終わりの惑星」なんです。滅びゆく世界で目的もなく生きていくことがどれだけ過酷なことか…少年は知っていました。そして同時に気づいていました。愛する少女は自分が死んでしまった後、自分の後を追って自ら命を絶つことを。ですから彼女の身のために、そんな悲しい惨劇を防ぐために、少年は身を持って伝えようとするんです。過酷な世界にいながらも夢を抱く無垢な心を。惑星の終わりを迎えるこの世界にも救いがあることを、わずかな希望でも信じる思いを。そして自ら命を絶たずに最期までこの世界で生きていくための折れない強さを。



夢を抱く無垢な心 わずかな希望でも信じる思い 折れない強さ



彼はその厳寒の地でその命を絶ちます。彼は本当に悔しかったでしょう。悔しくて悔しくてしょうがなかったでしょう…愛する少女よりも先立たなくてはならないのですから。これからの過酷な世界に少女たった一人を残してしまうことになるのですから。自分の脳裏には愛する少女を一人にしないようにと、つらくとも一歩を踏み出そうと、彼女に精一杯生きようとする姿を見せておこうと、笑顔で一歩を踏み出そうとした姿が目に浮かびます。でもその一歩を踏み出せずに、冷たい雪の上に倒れてしまいます。敢えてうつ伏せに倒れ、涙に溢れた悔しい表情を彼女に見せまいと最期まで彼女を想って。過酷な惑星で生き抜く強さを教えるために。



きみはまだ船があると信じて歩き出そうとした
その足はもう前へ出ない



そしてその後、「ぼく」はそんな彼の強い想いを汲み取ってくれましたね。そうなんです。この旅は「ぼく」が「きみ」のために始めた旅ではなく…「きみ」が「ぼく」のために始めた旅だったわけです。それを彼の死をもって知った彼女は旅を続けることを決意します。船が見つからなくたっていいんです。大切なのは、愛した彼が自分に教えてくれた強さを胸に最期の時まで生き抜くことなのですから。歌詞の最後にある「ひとりでも」というフレーズはそんな彼に報いた彼女の温かい言葉だったと解釈しました。



旅は続けるよ 世界の果てまで
きみの信じた船を見つけてみせるよ
ひとりでも



北へと続く果てしない旅の結末

では「ぼく」の長い長い世界の果てへと至る旅の結末はどうなったのか。それは「Heroの条件」における「ぼく」が「きみ」へと説いた一節で語られています。



ある人は希望の船を見つけてそらへと



少女は少年が最期まで信じた希望の船をみつけそらへと飛び立つことが出来ました。ですがここで説かれているのは「宇宙」ではなく「そら」なんですね。つまり本当に「宇宙へ旅立つための大きな船」を見つける事は出来なかったんではないかと考えます。しかし自分はこのフレーズから彼らの愛が幸せに結び付かなかったわけではないと信じたいです。きっとこのフレーズから読み取れるのは前述の通り少女が自ら命を絶たず「きみ」の意志を継ぎ最期まで惑星で生き抜いたことを指すのではないでしょうか。「きみ」から教えてもらった様々ないろはを胸に自らの生を全うした。だからこそ「そら」へと飛び発つことができたのではないでしょうか。自ら命を絶っては「そら」へと飛ぶことは決して出来ません。つまりこの歌詞における「そら」とは天国を指すんです。「きみ」のもとへと運んでくれるのは、終わりゆく惑星でたった一人ずっと探し続けたArk。ですから彼女を「そら」へと運んだこの「Ark」は「ふたりだけのArk」なんです。誰も信じなかった与太話の船を、彼ら二人だけは最期まで信じ続けた愛に溢れた箱舟なのですから。



よくある与太話 誰も信じやしない でもきみはその船を探そうと言うんだ



「ぼく」の悲しみを生きる強さへ

この歌詞は前述の通り状況説明に徹しているために心情の描写が一切ありません。それは「きみ」の心情もそうなんですが「ぼく」の心情をほとんど垣間見る事は出来ないんですね。「ぼく」は厳寒の地で最愛の「きみ」を失います。そんな「ぼく」の悲しみを表現するフレーズがあってもいいように最初思ったんです。「終わりの世界から」においては彼女の心情が溢れんばかりに描写されていましたね。



やめて あたし ここに居るよ だからどこにも行かないで



この「ふたりだけのArk」は麻枝さんが「ぼく」を代弁するかの様に書いた歌詞です。敢えてそんなフレーズを一つも入れなかったのはなぜか。それは「ぼく」の胸の中で「きみ」が永遠に生き続けるからなんです。前述の通り彼らの愛は「ぼく」が彼の信じた船を彼女が探し続ける限り冷める事はありません。そして彼女は果てしない旅の末に彼の信じる船を見つけ「そら」へと旅立つことが出来ました。ということは「ぼく」は死ぬまで彼を愛し続け、胸の内に彼の教えてくれたこの終わりゆく惑星での生き方を持ち続ける事が出来たわけなんです。そしてもちろん「そら」へと旅立つ「ふたりだけのArk」で夢を語り続ける彼らはとても幸せな表情。…このどこに「ぼく」が悲しむ要素があるのでしょう。彼女は死後、たった一人で旅を続けたわけではありません。胸の内には永遠に彼が生き続けたのですから。だから「ぼく」は歌詞に悲しんだことを表しません。表す必要がありません。確かに彼女は厳寒の地でその冷たい彼の体を抱きしめ、自らの体温で温もりを与え、再び声を発してくれることを切に願い涙を流したのかもしれません。しかし彼女は気づきました。世界の果てまで、いいえ…永遠に彼が自分の傍に居続けてくれていることを。それはもちろん「Ark」が運ぶ「そら」の上までだって。



ある人は希望の船を見つけてそらへと



表題「ふたりだけのArk」を最後に考える

以上で「ふたりだけのArk」の考察は終了です。「終わりの世界から」と並行して書いていたんですがこっちの方がすんなりとまとまった感じではあります。いまだ「終わりの世界から」については考える事があるので。この「ふたりだけのArk」ですが個人的にはアルバムの中でもかなり上位にくる好感度でした。最期には死んでしまう彼らの愛は本当に永遠なんです。終わりの惑星を出て「そら」へと飛び立った彼らはArkに揺られ、毎晩夢を語り合うのでしょう。生き抜いた過酷な惑星での生活では決して得られなかった本当にありふれた笑顔で。ですから今回の表題を『死に逝く彼らをそらへと運ぶ「ふたりだけのArk」』としました。いつまでも彼らの愛に幸あらんことを。次回は「Killer Song」です。ご意見・ご感想はお気軽にどうぞ。

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【2012/04/29 15:42】 | 終わりの惑星のLoveSong
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tabasa@鍵っ子
考察読んでてとても面白かったですww

自分の考えてたことと違う考えとかもあって、こういう考え方もあるのか~とか思いました

自分もArkはノアの箱舟的な物と思って、同じこと考えてる人もいたって嬉しくなったりしましたww

次のkiller songの考察もくちゃくちゃ期待してます~ww


せれーで
tabasa@鍵っ子さんへ

読んで下さってありがとうございます!!面白い!?こんなに長々と書いてしまったのに面白いと言って下さるのは非常に心強いお言葉です。ちょっと自分は感情的に書いちゃうところがあるので(;^ω^)

違うとこ…ありましたか?でもそれが普通ですよ。歌詞に対して読み取るテーマが個々に違って色んな解釈を読むのが楽しいですし(´∀`*)「こういう考え方もあるんだなー」と読み進めて下さったのならtabasaさんの解釈に自分の考えも加われたのかな、と少し嬉しいです。

ですね!!Arkはノアの箱舟だと解釈すると「そら」の解釈もまた記事のように…とすんなりと通る感じですよね。自分も賛同をもらえて嬉しいなう!!

「KillerSong」はこのオワホシ企画が始まって一番最初の曲ですから思い入れも強いです。期待に添えられるかは分かりませんが頑張って書きますので是非またいらして下さると嬉しいです。ではでは。


風見岸
どうも、風見岸です

正直、自分はこの曲を聞いた時はかなり単純なものかと思いました。でもこの記事を見たら、ああ、なるほど、って色々と結構悟りました。

旅の目的や二人の思いとかは、まあ、大いにせれーでさんの考えを賛同します、何しろ自分はそんなに考えてないので。(考えの重心をなんとなくアルバム全体の方に回したもので)

ただ物語の結末ですが、自分はやはり本当に船があって、それを「僕」が飛ばした方に賛同します。「そら」という言葉自体も広い意味で宇宙を指すことも可能ですから、それに終わりの星で誰かがそんな船を作ってるのもおかしくないですし。

まあ、単に自分はそう簡単に誰かを死なせたくなかったのこも知れません。実のところ、歌の最後に「一人でも」って聞いた時、思わず「一人じゃ嫌――! あんたら二人で行けや! 二人だけのArkやろ!!!」って叫んでしまった……


せれーで
風見岸さんへ

どうもです!!コメントありがとうございます!!色々と悟って頂けたようで何よりです。この「ふたりだけのArk」は非常に好印象な感じの曲だったので色々と思う節がありました。

わかりますww自分も最初は個々の曲を解釈する前にこのアルバムにおける舞台である「終わりの惑星」について理解しようと大きく広くをモットーに考えてました。自分の中でもこのアルバムのコンセプトが完全なものになっていないのがまだ書いてて頭に残ってます(;^ω^)賛同頂けたようで嬉しいです。

うーん自分も最初「Heroの条件」を聴いたときはそう思いました。「ぼく」は無事船に乗って惑星を脱出できた一人になったのだと。そうなると「終わりの惑星」全体の大枠がすごくはっきりするんですよね。しかし気がかりなのは「ふたりだけのArk」として描かれている船が非常に歪な形をしている点です。ファンタジーに描かれたこの船はやはりお伽噺上の船なのではないか…と考えました。そして表題が「ふたりだけのArk」となるのかな…と疑問に思ったんです。それはやはり世界中で彼ら二人だけが信じた「Ark」であったから「ふたりだけ」なんですよね。つまり船というのは彼らの間では想像上で確かに存在していますがやはり実在はしなかったのではないか…と思います。でも存在していたのかも、と今風見岸さんのコメントを見て思い直してきた感じです…また最終項を書くまでに考え直しておきたいですね。

ですよね…自分の考えだと結局少女は終わりの惑星で死んでしまったということです。ずっと彼の生き方を学び懸命にたった一人で探してきたのに…そんな彼女に救いを与えなかった、というのがつらい感じではあります。ふたりだけのArkが本当に存在したのか…それはやはり舞台になる「終わりの惑星」をすべて理解した後で再び考え直す必要がありそうです。最後のシャウト聞いてて激しく同意略してはげど(´;ω;`)

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この記事へのコメント
考察読んでてとても面白かったですww

自分の考えてたことと違う考えとかもあって、こういう考え方もあるのか~とか思いました

自分もArkはノアの箱舟的な物と思って、同じこと考えてる人もいたって嬉しくなったりしましたww

次のkiller songの考察もくちゃくちゃ期待してます~ww
2012/04/29(Sun) 17:57 | URL  | tabasa@鍵っ子 #-[ 編集]
tabasa@鍵っ子さんへ

読んで下さってありがとうございます!!面白い!?こんなに長々と書いてしまったのに面白いと言って下さるのは非常に心強いお言葉です。ちょっと自分は感情的に書いちゃうところがあるので(;^ω^)

違うとこ…ありましたか?でもそれが普通ですよ。歌詞に対して読み取るテーマが個々に違って色んな解釈を読むのが楽しいですし(´∀`*)「こういう考え方もあるんだなー」と読み進めて下さったのならtabasaさんの解釈に自分の考えも加われたのかな、と少し嬉しいです。

ですね!!Arkはノアの箱舟だと解釈すると「そら」の解釈もまた記事のように…とすんなりと通る感じですよね。自分も賛同をもらえて嬉しいなう!!

「KillerSong」はこのオワホシ企画が始まって一番最初の曲ですから思い入れも強いです。期待に添えられるかは分かりませんが頑張って書きますので是非またいらして下さると嬉しいです。ではでは。
2012/04/29(Sun) 18:18 | URL  | せれーで #-[ 編集]
どうも、風見岸です

正直、自分はこの曲を聞いた時はかなり単純なものかと思いました。でもこの記事を見たら、ああ、なるほど、って色々と結構悟りました。

旅の目的や二人の思いとかは、まあ、大いにせれーでさんの考えを賛同します、何しろ自分はそんなに考えてないので。(考えの重心をなんとなくアルバム全体の方に回したもので)

ただ物語の結末ですが、自分はやはり本当に船があって、それを「僕」が飛ばした方に賛同します。「そら」という言葉自体も広い意味で宇宙を指すことも可能ですから、それに終わりの星で誰かがそんな船を作ってるのもおかしくないですし。

まあ、単に自分はそう簡単に誰かを死なせたくなかったのこも知れません。実のところ、歌の最後に「一人でも」って聞いた時、思わず「一人じゃ嫌――! あんたら二人で行けや! 二人だけのArkやろ!!!」って叫んでしまった……
2012/04/29(Sun) 20:59 | URL  | 風見岸 #-[ 編集]
風見岸さんへ

どうもです!!コメントありがとうございます!!色々と悟って頂けたようで何よりです。この「ふたりだけのArk」は非常に好印象な感じの曲だったので色々と思う節がありました。

わかりますww自分も最初は個々の曲を解釈する前にこのアルバムにおける舞台である「終わりの惑星」について理解しようと大きく広くをモットーに考えてました。自分の中でもこのアルバムのコンセプトが完全なものになっていないのがまだ書いてて頭に残ってます(;^ω^)賛同頂けたようで嬉しいです。

うーん自分も最初「Heroの条件」を聴いたときはそう思いました。「ぼく」は無事船に乗って惑星を脱出できた一人になったのだと。そうなると「終わりの惑星」全体の大枠がすごくはっきりするんですよね。しかし気がかりなのは「ふたりだけのArk」として描かれている船が非常に歪な形をしている点です。ファンタジーに描かれたこの船はやはりお伽噺上の船なのではないか…と考えました。そして表題が「ふたりだけのArk」となるのかな…と疑問に思ったんです。それはやはり世界中で彼ら二人だけが信じた「Ark」であったから「ふたりだけ」なんですよね。つまり船というのは彼らの間では想像上で確かに存在していますがやはり実在はしなかったのではないか…と思います。でも存在していたのかも、と今風見岸さんのコメントを見て思い直してきた感じです…また最終項を書くまでに考え直しておきたいですね。

ですよね…自分の考えだと結局少女は終わりの惑星で死んでしまったということです。ずっと彼の生き方を学び懸命にたった一人で探してきたのに…そんな彼女に救いを与えなかった、というのがつらい感じではあります。ふたりだけのArkが本当に存在したのか…それはやはり舞台になる「終わりの惑星」をすべて理解した後で再び考え直す必要がありそうです。最後のシャウト聞いてて激しく同意略してはげど(´;ω;`)
2012/04/29(Sun) 23:03 | URL  | せれーで #-[ 編集]
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2017/03/03(Fri) 19:10 |   |  #[ 編集]
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